落合福司「男女間におけるパートナーシップ関係の一方的破棄と慰謝料請求」に対する私のコメント
落合さんは、この論考の中で、「婚約でも内縁でもなく、事実婚でもないパートナーシップ関係の破棄についての裁判例は、本件以外に見当たらない。」(p.260)としています。
私の知る限り、現在までに発表された論考の中で、タイトルに“パートナーシップ関係”という単語を使っているのは、良永和隆さん(専修大学法科大学院教授)と山下純司さん(学習院大学法学部教授)とこの落合さんです。(良永和隆 「婚姻外の男女関係(パートナーシップ関係)の一方的解消」 Hi-Lawyer 2005 5 p.71〜73 辰已法律研究所; 山下純司 「婚姻外の男女関係(「パートナーシップ関係」)の解消と不法行為責任」別冊ジュリスト193号 家族法判例百選〔第7版〕2008.10 p.42〜43 有斐閣)
「パートナーシップ関係」という言葉、実は最高裁の判決文の中に一箇所だけ出てきます。しかし、私や裁判相手は、少なくとも最高裁に提出した書面の中では一度も使用していませんし、東京高裁の判決文 [PDF形式, 600KB] の中でも、「パートナー」が一回登場するのみです。
この「パートナーシップ関係」は、最高裁判決時点における新聞社の造語だと私は認識しています。最高裁の判決が出た日、新聞記者たちは本件に関する記事を書くにあたって、「内縁でも同棲でもないし、事実婚でもないなぁ。だったら、パートナーシップで行くか!」程度の軽い気持ちで使ったのではないでしょうか。したがって、法律家が「パートナーシップ関係」という言葉を使うのなら、もう少し吟味すべきではないかと思います。
一方、最高裁判決後、私がこのサイトで本件を「パートナー婚(解消訴訟)」と名づけたのには意図がありました。「パートナー婚」と名づけることによって、1.従来の内縁や事実婚とは区別する 2.ビジネスパートナーといった場合のパートナー関係ではなく、「婚姻」関係を取り扱う、ということを明らかにしたかったのです。
さて、落合さんは、最高裁の結論に懐疑的な法律家です。その中心となる主張を下に引用しましたのでお読みください。
落合さんの論考を読んで最も印象に残ったことは、「協同生活」と「共同生活」とを使い分けていることでした。「共同生活の実体を協同生活関係にまで緩和しても、本件は事実婚に取り込むことはできないであろうか。」(p.263)などの記述から、「共同生活」=「同居の枠を超えて、協力し合う生活」という定義をしたかったのではないかと思われます。ちなみに最高裁判決文に出てくる回数は、共同が1 協同が0、協力が3です。
最高裁の判決に対して、「最高裁が法的保護を拒否するひとつの理由である関係離脱禁止の合意がないことは、かりに存在すれば離婚禁止条項にも似て、わが国の公序良俗に違反して当該条項が無効になるのではなかろうか」(p.266)という指摘は重要だと思います。少なくとも、判決(2004年11月)直後から水野紀子さんの論考(平成16年度重要判例解説 ジュリスト臨時増刊6月10日号)が出た2005年6月までに書かれた法律家たちの解説の中に、このことを指摘したものが1つもなかったことは、看過できないことであり、最高裁にヨイショをせざるを得ない事情があったのではと穿ってみたくなります。判決文のみを表面的に分析し、自らのコメントを少し加えて、論文一丁上がり!というのは幾らなんでも安易でしょう。
落合さんは、引用文献の1つに本サイトを挙げています。もし落合さんが判決直後に論考を書いた法律家(特に私の職業を取り違えていた吉永さん)のように、私に関する詳細な事情や事実を知らなかったら、幾分最高裁支持のほうに傾いたかもしれないと感じます。反対に、もし上述した法律家の方々が私に関する情報(たとえば、出産の状況、判決時は大学教授だが、出産時は非正規雇用者だったことなど)を幾分知っていたとしたら、それでも同じ内容になったでしょうか。ほんの少しの違いで、否定から肯定になったり、裁判に勝ったり負けたりするのですから、他人が評価すること自体怖いことだなぁと思いました。
論考の中に散在する二宮周平さんの言説に関しては、断片的に引用されているため、これだけ読んだのでは、「二宮さんって支離滅裂な人?」としか思えないです。あらためて二宮さんの論考に対してコメントします。
「男女の生活スタイルについて、合意に基づいた緊密な関係、継続的関係、相互に唯一のパートナーとする排他的関係、子をもうけた関係は、偶発的で短絡的な単なる恋愛関係(野合、私通関係)とは異なり、法的評価に値する相互の信頼性によって結ばれた協同生活関係が認められるのではなかろうか。また、突然かつ一方的な破棄の様態には、不意打ちというパートナー間の信頼関係を破棄する違法性が存在するのではないだろうか。」(p.258)
「しかし、婚姻外の男女関係は多種多様化しており、・・中略・・婚姻との距離を測るとともに、単なる恋愛関係からの距離も測定する必要がある。」(p.260)
(特に水野紀子さんの論考に対して)「婚姻でさえ性関係を伴うが、それゆえに婚姻が公序良俗に反するとされることはない。反面、婚姻の一面には性関係の独占ないし排他性が含まれる。パートナーシップ契約にも独占的・排他的・継続的性関係が含まれ、それが法的評価の方向に作用することはあっても、公序良俗や強行法規に違反することはない。また、子の養育については、親として高度の義務がある。しかし、子の養育を当事者の一方に委ねたり、他人に委託することは婚姻でもありえることであって、養育の一態様であり、法が禁止している行為ではない。これを非難する根底には、子は母が育てるものであり、女性が仕事のために子育てを疎かにするのは以ての外であるという旧来の男性優位型固定観念が見え隠れする。本件のパートナーシップ関係に反倫理性は内在していない。」(p.263)
「内縁の準婚的保護自体が法律婚を希薄化するものであり、そこからすでに法律婚の相対化は始まっていた。また、婚姻の届出さえあれば別居し、協力せず、別経済であっても法的保護がなされるのに対して、届出がない男女関係が保護されるためには同居し同一生計でなければならないとすることは逆立ちした論理である。」(p.265)
「婚姻に準じるや近似するというステータスは付与せず、当事者間の合意に基づいて、公序良俗や強行法規に違反しない限り、合意内容を誠実に履行することを相互に期待できる関係として認容するのである。」(p.265)
「本件は、男女間に共同生活関係の緊密性・継続性・排他性があり、その関係を相互に保持・認容する合意があり、関係性が対外的に認知されているから、パートナーシップ関係である。パートナー間には、合意内容の実現や関係の解消について、信義にしたがい誠実に行うことが課せられている。パートナーシップ関係の解消は当事者の自由であり、合意が望ましいとしても、一方当事者の意思によって解消できる。しかしながら、関係の解消にも信義誠実が要求されるから、不当で一方的な破棄には責任が問われることになる。本件のように話し合いをする機会や相当の時間も設定しないで、旅先から帰ったXに駅で関係の解消を一方的に告げる行為は、当事者間に形成されてきた信頼関係を一方的に破壊する不意打ちの行為であり、信義誠実に適うものではない。すなわち、パートナーシップ関係において、パートナー間に形成されている相互信頼関係は法的保護に値する利益であり、その関係を突然かつ一方的に破壊する行為には違法性があり、慰謝料請求が認容される。」(p.265)
(2009年9月26日)