山下純司「婚姻外の男女関係(「パートナーシップ関係」)の解消と不法行為責任」に対する私のコメント
山下純司さんの解説の意義は、慰謝料請求権肯定説(≒最高裁判決否定説)を整理してまとめていることです。この文章の中に山下さん個人の見解はほとんどありませんが、それは「家族法判例百選」という本の性質上仕方がないと思われます。
山下さんのまとめに関して、気になった点が4つあります。
1点目は、以下の(1)において、“存続保護の法的利益がなさそうな関係であっても、解消の行為態様如何によってはなお、不法行為責任が認められる余地がある”という見解(星野豊さん)を、“婚姻に準じた関係を認める主張”、“準婚理論の拡張”と見做している点です。
確かに千藤洋三さんの論考はそうした立場から書かれていますが、星野さんの論考はそうではないと私は思います。
- 星野豊「いわゆる「パートナー婚解消訴訟」について(1)」 [PDF形式, 640KB]
- 星野豊「いわゆる「パートナー婚解消訴訟」について(2・完)」 [PDF形式, 908KB]
(1)以上とは正反対に、パートナーシップ関係の解消から慰謝料請求権を積極的に認め、本件のケースでも、最高裁の判断を批判し、原審の判断を支持する見解がある。そうした論者は、原審がX・Y間の「特別の他人」としての関係を重視したことを評価し、逆に最高裁がX・Yの間の関係の「法律婚との異同」にのみ着目していると批判する。(星野豊・法時第78巻4号117〜118頁)。その主張の前提には、ライフスタイルの多様化に伴い出現した、法律婚の枠に収まりきらない様々なカップルに対して、存続に対する法的保護の期待と必要性が高まっているという認識がある。そして、この見解からは、原審がYの身勝手な「別れ方」を理由に慰謝料請求権を認めたことは、存続保護の法的利益がなさそうな関係であっても、解消の行為態様如何によってはなお、不法行為責任が認められる余地があることを示したものとして積極的に評価されるのである。
しかし、関係の存続保護の利益がまったくないならば、「別れ方」を問題とする余地はそもそもない(石川博康・NBL799号8頁)。例えば、長年の親友関係や単なる恋人関係を、突然一方的に干渉しても、慰謝料請求権が発生するとは考えにくい。そうするとこの見解は、法律婚や従来の準婚的内縁関係など、存続保護を広範に保障された男女関係の外に、行為態様などを考慮して存続保護を部分的に保障される「婚姻に準じた関係を認める主張であり、準婚理論の拡張といえよう。(千藤洋三・リマークス2006〈上〉70頁も参照)。
2点目は、以下の(2)における、「事実に即した保護を口実に、カップルの関係の内実に裁判所が踏み込み、いわば、「裏切ることが許されない関係」と「裏切ることが許される関係」を区別しているのであり、それ自体が、国家による個人の私的領域への過剰介入にほかならないことになるからである。」という記述です。
法律婚の場合には、カップルの関係の内実に裁判所が踏み込むのは是ですか。もしかしたら、法律婚というものは、国家に届け出ているがために、“国家に介入されても仕方がない男女関係”ということなのでしょうか。どちらにせよ、私的領域に入り込まない限り、誠実な弁護や助言は不可能だと思います。
(2)このように準婚理論を、パートナーシップ関係に拡張する場合、問題となるのは拡張され保護される関係の範囲である。法律婚と異なる多様な関係への適用を前提とする以上、婚姻意思や婚姻生活の実質は基準になりえない。そうすると例えば、「共同生活によって形成された相互信頼関係」(落合福司・専修総合科学研究14号265頁)を、関係継続の期間や女性の出産、相互協力や共同作業の有無といった事実(原審はまたにこれらを問題としている)に即して、柔軟に判断していくことになる。そしてこの点こそが、否定説と相いれない点でもある。否定説からすると、肯定説は事実に即した保護を口実に、カップルの関係の内実に裁判所が踏み込み、いわば、「裏切ることが許されない関係」と「裏切ることが許される関係」を区別しているのであり、それ自体が、国家による個人の指摘領域への過剰介入にほかならないことになるからである。
3点目は、以下の(3)における、「自立した個人間の「純粋のパートナー関係」」という表現です。
“自立した人間同士の純粋ではない関係”というのはあり得ませんか。
依存している人間同士にも“純粋の関係”と、“純粋ではない関係”があるのではないですか。
そもそも自立とは物質的な自立を指すのか、精神的な自立を指すのか、両方が揃わなければ自立しているといえないのか。とりわけ男女関係において、女性が “自立”しているからこそ男性が享受できたモノやコトがある――この当たり前の事実に気づかない人々が多すぎると思います。
pure まじりけのないさま 純粋 けがれがないさま。純潔
genuine 〈人・感情などが〉誠実な, 偽りのない 〈物などが〉本物の 真の, まがい物でない
(3)そこで、パートナーシップ関係に準婚の論を拡張し、慰謝料請求権を原則肯定しつつも、自立した個人間の「純粋のパートナー関係」の解消にあたっては、慰謝料請求権が発生しないとする立場もある(二宮周平・判タ1180号126頁)。この立場では、パートナー関係が自立的なものかどうかが重要となるが、この説の論者は「要保護性」を基準に、関係継続中からパートナーが要保護状態にあった場合や、一方的な解消によりパートナーが精神的打撃を受け、病気や仕事の継続困難をきたした場合には、解消した側に要保護者を補完する義務が発生するという。この立場からは、本判決は、Xにそうした事情が伺われないため、保護が否定されたということになろう。
4点目は、同じく(3)における、「一方的な解消によりパートナーが精神的打撃を受け、病気や仕事の継続困難をきたした場合には、解消した側に要保護者を補完する義務が発生するという」という記述です。
精神的な打撃を客観的に測定することは絶対に不可能であると私は思います。
「やつれた」ふりをすることや、「寝込んでいる」とウソをつくことは容易いです。経済的な困窮度をみる場合も、隠し財産があるかもしれないし、実家が非常な金持ちであるといった、本人(ほとんどの場合、女性)の収入以外の要素が入って来るでしょう。慰謝料査定の限界がここにあると思います。
3点目、4点目は、山下さんではなく二宮周平さんの主張ですし、「純粋の」という言葉を使用したのも二宮さんですので、二宮さんの論考に対するコメントとしてあらためて言及することにしたいです。
「純粋の・・・」、安易に用いてはならない言葉だと思いました。
(2009年9月18日)