深見友紀子 最高裁・パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト

本件に対する一般の人々の反応
Part 1

「毎日新聞の記事」に対する私のコメント

 ほぼ横並びだった他の新聞社の報道と比較して、毎日新聞の判決当日の報道は、当事者や専門家、記者のコメントを載せている点で、飛びぬけて重要だと感じました。

 ここでは、「原告女性の話」と「棚村政行教授の話」を取り上げます。

 判決の前日と当日、原告である私は幕張のメディア教育開発センターで開かれていたe-Learningの国際シンポジウムに参加していたので東京にいました。前日の夜、自宅に戻ると毎日新聞の小林直記者から「明日の判決について報道したいと思っています。」という留守メッセージが入っていました。もうかなり遅い時間だったのでこちらから連絡できず、翌朝、私は小林さんと話をすることができました。「最高裁への上告が通って弁論が開かれる場合、高裁での判決が99%覆るのですよ。深見さんのコメントをお願いします」と彼は言いました。「じゃ、私が負けるということですね。」出掛けるので急いでいた私は、負けると想定して口頭で簡単にコメントしました。それが「原告女性の話」です。私や相手が裁判所に提出している書類は閲覧可能であり、そこに電話番号が書いてあるので、小林さんは相手にも電話をしたそうです。2ちゃんねるに「男の側のコメントも載せろ。マスコミはフェミの味方か」といった批判がありましたが、小林さんは一応両者に連絡していたのです。連絡がとれなかったのは相手はそこには住んでいないからです。

 私とのパートナー婚の婚姻中に相手が作った自宅兼私設図書館は、コンクリート打ち放しで冬は外気温よりも低く、書物の保管には悪条件の建物です。建築家である私の現在のパートナーSさんは、建築雑誌に掲載されたこの建物の写真を見たのがきっかけで2週間も頭痛に悩まされたほどです。相手は1993年の暮れから8年間この建物で一人で暮らしていました。当然人にも過酷であり、小学校6年生の長男と再婚した妻が暮らせる場所ではないのです。この建物を一度でも見たならば、男が私のイデオロギーに付き合わされてきたのではないかという多くの人たちの想像が覆ると思っています。

 判決を聞くだけに最高裁に出向く気はありませんでした。私は敗訴の事実を、知人の歯科医からの携帯メールで知りました。「2時のラジオを聞きました。深見さんの主張は通らなかったみたいですが、気を落とさないでくださいね。」毎日の記事は夜になってインターネットで見ました。「原告女性の話」について、私が話したのとちょっとニュアンスが違うと思いましたが、新聞は速報性が第一ですし、喋った内容を別の人が書く場合、もっとずれることもあるので、仕方がないです。

 ▽原告女性の話 旧来型の内縁の夫婦だけでなく、お互いの職業上の理由から別居し、婚姻届を出さない事実婚を選ぶ夫婦は増えている。今回は子供までいるのに法的保護を与えないと判断しており、憤りを感じる。今後さまざまな媒体を通じて問題点を指摘していく。

 この私のコメントについて、「子どもを育てていないのに、子どもを持ち出すなんて」という批判がネット上で多々ありましたが、誰が子どもを育てていようが、男女の間に子どもが存在すれば発生する問題は数多いということを私は述べたかったのです。関係の解消にあたって、子どもが存在することに起因する法律的な取り決めを相手が一切無視したので、私はそうした一方的な態度の不法 (不当) 性に対して損害賠償請求をしました。それはエイサクさんの日記「歌うたいのカケラ」に対する私のコメントで書いた通りです。そして、現在もなお取り決めていない状態が続いています。自由恋愛であるとか、長年の友達同士であるとか、「ふられただけで慰謝料か」などとさまざまに受け取られているパートナー関係から生じた結果が、相続や養育に関して法律婚と見間違えるほどの問題が山積していたことが重要なのです。ただし、私は、子どもが存在することがパートナー婚を成立させるための必須条件とは考えていません。子どものいない夫婦も夫婦であるのとまったく同じです。

 次の文章が、毎日新聞の小林直記者が判決結果について早稲田大学大学院法務研究科、棚村政行教授にコメントを求め、棚村さんが話した内容です。

 ▽最近増えている新しい男女関係に関する初判断で影響は大きい。同居せず、自立し、家計も別々な割り切った男女関係の一方的な解消について、単なる恋愛関係と同じく法的保護の必要性はないと切り捨てる判断と言える。しかし、男女関係の多様化が進む中、保護される生活利益や経済的利益を不当に害されたかどうかを個別的に検討すべきではないか。今回のケースでは、精神的なつながりや16年も関係が続いた特別な点などを、より考慮する余地があると思う。

 この発言は、おそらく最高裁の判決文さえも読んでいない段階のものでしょう。「精神的なつながりや16年も関係が続いた特別な点」をどのように考慮するのか、する必要はないと判断するのかを詳しく語っていただきたいと思っています。"フェミに媚びるインテリ左翼男"と言われていますよ。自分を慕って寄って来る学生たちだけを相手にしてはいけません(自戒を込めて)。便所の落書き(2ちゃんねる)に目を通すのもリアルな世界を知るフィールドワークです。

 利益というのは、生活利益と経済的利益だけなのでしょうか。それはどういう意味なのでしょう。妻に経済力がない場合や、妻が家事を一手に引き受けているため、夫は家のなかのどこに自分のパンツがあるかわからないといった場合のような、互いに依存していて明日からの生活が立ち行かなくなるカップルのほうが失う利益が大きいといえるのでしょうか。利益を害するとはどういうことなのでしょう。第三者にはわかり得ない、思想的、信条的な部分、性的な親密さは評価の対象とはならないのでしょうか。法などというものは所詮そのようなものかもしれませんが、一般の社会も法律家の発言に引きずられて同じような傾向にあると思います。

 弁護士はすでに起こった事柄に対して、どのような判断、裁定を下すかを考えるのであって、これから起こることについて考えを及ばせるのではないということを聞いたことがあります。顧問料収入だけが目的の弁護士事務所はそれでいいかもしれませんが、社会を見据える法律家は社会の先を見なければならないと思います。利益のみを論ずる法律家など社会に必要ありません。

 男女関係の多様化を目の当たりにしながら、その行く末、その意味、意義について語るには哲学が必要です。哲学のない法律論や社会論の横行する現在、誰が未来を語れるでしょう。早稲田大学の棚村ゼミで取り上げてほしいテーマです。

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深見友紀子(ongakukyouiku.com)

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