No.1 男女の共同生活とは何か
最高裁の判決文のなかに次のような文があります。
「上記期間中、両者は、その住居を異にしており、共同生活をしたことは全くなく、それぞれが自己の生計を維持管理しており、共有する財産もなかった。」
これは、相手が突然一方的に私との16年の関係を解消したことを不法行為と評価することはできないとした4つの理由のうちの1つです。良永和隆さんは「いくつかの要素(判決原文②―⑤)をあげており、そのいずれ(あるいはすべて)の要素が重視されているのかは、その射程を考える上で検討を要する。」としていますが、順番からすると1番目の理由です。
さて、物理的、物質的な側面から、男女の暮らしを分類すると以下のようになると思います。
- (1)住居が同じで、生計が同一の場合
- (2)住居が同じで、生計が別の場合
- (3)住居を異にしていて、生計が同一の場合
- (4)住居を異にしていて、生計が別の場合
今の法曹界の学説では、当事者たちが否定しない限り、婚姻届を出していれば、以上の(1)〜(4)のいかなる場合でも共同生活とみなされるはずです。
では、婚姻外男女の場合はどうでしょう。
- 現在、かつての典型的な夫婦のパターンである(1)だけが、無条件で共同生活とみなされます。
- 経済力のある男が相対的に減っているなか、(2)はこれから増えていくでしょう。
- 現代的な婚姻外男女の場合、(3)はまずほとんど存在しないでしょう。
- 今回の事件での私と相手は(4)です。
簡略化のために4分類しましたが、それぞれの間には無限のバリエーションがあります。男女とも働いている場合、厳密な意味で"同一の生計"などあり得ないし、入り口が2つになると、出て行き方も複雑になります。妻の収入が一定額以下で配偶者控除の対象となる夫婦までを仮に"同一の生計"としても、そういった男女から、それぞれが自己の生計を維持管理している男女まで、いろいろなカップルがいます。(4)はそのうちの特殊な例に過ぎないと私は思っています(コラム Prat 1 No.7 参照) 。夫婦と子ども2人という標準家庭もすでに標準ではなくなっているように、常に変化するものであり、(4)が特殊ではない時代も来るかもしれません。
最高裁は、住居を異にしていて、別々の生計管理であるならば共同生活ではないと判断しましたが、私と相手が住居を同一にしなかったのには理由がありました(コラム Part 1 No.4 参照)。それこそが、2人の共同生活のポリシーだったのに・・・・と複雑な気持ちです。
次のメモは、私が長女を妊娠した1989年当時、相手が私に書いたメモです。
もし私と相手の生活が共同生活ではなかったとしたら、相手は“親しい異性の友人”というだけだったのでしょうか。それとも、"通いで、無料の召使い"だったのでしょうか。
次に、私と現在のパートナーSさんの場合はどうでしょう。
私とSさんの2005年8月の生活状況
- 私・Sさんともに京都の自宅マンション
- 19日
- 私・Sさんともに東京の自宅
- 2日
- 私―東京、Sさん―京都
- 3日
- 私―京都、Sさん―東京
- 1日
- 私・Sさんともに成田のホテル
- 1日
- 私・Sさんともに機中
- 1日
- 私・Sさんともにローマのホテル
- 2日
- 私―地方、Sさん―京都
- 1日
- 私―京都、Sさん―地方
- 1日
8月は互いに大学が夏休みなので、31日中、なんと25日も同宿。これって「住居が同じ」と捉えて異論はないですね。
では、次に生計管理について。
私とSさんには共有財産はありません。一緒に住んでいる東京の自宅は私の所有です。Sさんが所有する物件は横浜にありますが、現在彼はそこには住んでいません。Sさんは東京の自宅に住民登録があります。私は京都のマンションに住民登録があります。互いのだいたいの収入は知っています。でも、ただ知っているだけです。
私はSさんから家賃と管理費をもらっています。ガス・水道は折半。音楽レッスンに使用している床面積が大きいため、電気代は私のほうが多めに負担しています。京都・四条河原町のマンションは私の勤務のために借りていますし、大学から手当てが出るので、私が家賃を支払っています。光熱費はすべて折半。食費も2人で食べたものは折半。その他、相手のために立て替えていたものは、手渡しあるいは新生銀行同士の無料ネット送金で月末に清算しています。
月末の清算
家財で共有するものはダブルベッドと東京のテレビ、最近購入した(東京の)掃除機、アイロン。ベッドは東京と京都にまったく同じものがあるので、たとえ別れることになっても仲良く1つずつになるでしょう。データのバックアップのために、ハードディスクは東京、京都、モバイルともに共有です。
先月、私たちはイームズ(椅子)を買いました。私はブルーとレッド、Sさんはホワイト(大学の研究室にはレッドのシェルとホワイトのアーム付)。請求書も別々に届きました。
イームズ
(画像をクリックすると拡大します)
これって、"別々の生計管理"ですか。あるいは"同一の生計管理だけど特殊な例"ですか。
「共同生活あるいはそれに準じた相互的な協力関係」(二宮周平 「家族法第二版」p.154、新世社、2005)はどうでしょうか。
確かにありそうです。
1つのベッドで寝ているようだから、共同生活あるいはそれに準じた相互的な協力関係なのでしょうか。
「本判決でXYは、一時的とはいえ近所に住み、二子をもうけているので(X―私、Y―相手)、継続的な性交渉があったと推認される。」(本山敦 民事判例研究 第1回 p.56 「法律のひろば」 2005. 5.)はこのレベルの記述だと思います。
「過去の協力関係を組合類似のものと評価して財産の清算を認めるのがせいぜい」(水野)であるのなら、月末に必ず清算している私とSさんの場合、関係の破綻に際して、テレビと掃除機、アイロンをどちらが引き取るかを決めればいいということですね。
男女の協力関係ってそんなものでしょうか。
同居、同一の生計でも、ほとんど協力し合っていないばかりか、口さえきいていない夫婦だっています。
法的に物事を決めるには、眼に見えるものに頼らざるを得ないのかもしれません。限りなく即物的に・・・・。でも、そういう風にしていると、多くの大切な事柄、両者の精神的な部分、特段の事情などが抜け落ちてしまうでしょう。想像力を働かせさえすれば、それらも眼に見えるはずなのに・・・・。
問題なのは、法律家のなかにそのことにまったく気がついていない人、文書による固定的観念から抜けられない人が多いことだと思います。
「そんなこと、法律の埒外」というのであれば、男女の関係の破綻を処理するのは会計士で十分です。
註 Sさんとの共同生活は2003年1月から2009年2月まで続きました。