深見友紀子 最高裁・パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト

コラム Part 1

No.4 同居しなかった意味

 今回の報道において、メディア、専門家の多くが16年間同居していなかったことを敗訴の一番の理由として挙げています。


  • 1985年11月(女28歳 大学4年生)男と女、結婚相談所を通じて知り合う。
  • 1985年12月(女28歳) 婚約
  • 1986年3月(女29歳) 婚約解消
    • * 理由は、「スープの冷めないぐらいの近距離に住み、特別の他人として、 親交を深める」ため
  • 1986年4月(女29歳)男が女の家(東京都新宿区内)の近くに転居
    • * 双方が互いの家を行き来するようになる。
  • 1990年4月(女33歳)男、東京都八王子市に転居

 以上が、最高裁の判決文の中で住まいに関する記述を時系列に並べたものです。しかし、これだけでは同居しなかった理由やその真意を理解できないと思うので補足することにします。

 二つ目の大学、東京芸術大学の4年生のときに、母の友人で結婚相談所を開設していた人の紹介により私は相手と会いました。会うことに決めたのは、同じ大学の大学院を出ていたからでした。
 婚約といっても、結納を交わしたわけでも、指輪をもらったわけでもなく、相手の両親に会っただけです。
 1986年に入って新居を探しましたが、私は卒業と同時にレッスンをして生活をするためにグランドピアノを購入することになっていました。すでに所有していた電子楽器もありました。一方、相手が会社に勤める傍ら収集した美術関連の古書も膨大な量になっていました。さらに、相手は一人で考えたり作業をしたりする場や時間を重要視する人でしたし、二人が探した物件では、たとえピアノを置くことができたとしても、時間を気にせず弾くことができるか、さらには生徒が通ってきてレッスンができるかとなると不安でいっぱいでした。28歳まで働いたことがなかった私は、何よりもまず仕事をし、自分の力で収入を得たいという思いを強く持っていました。
 家賃を出し合えば楽器や本を置くことができるマンションを探すことができたかもしれませんが、私は自分の住まいを探すことにし、3月、「3階建の一軒家の1階、グランドピアノ可、生徒付き」という驚くほど条件のいい物件を、当時の下宿の近く(新宿区)にみつけました。相手はそれまで住んでいたアパートを引き払い、翌4月に私がみつけた家から至近距離にあるマンションに引越をしてきましたが、床面積の半分を本が占領しているという状態でした。

 判決文では、「スープの冷めないぐらいの近距離に住み、特別の他人として親交を深める」ために婚約を解消したと読みとれます。しかし、婚約を解消したのは両者が姓を変えたくなかったからであり、同居しなかったのは同居できる広さや仕事の条件を満たす物件が簡単にはみつからなかったからでした。その結果「スープの冷めないぐらいの近距離に住み、特別の他人として親交を深める」ことになったわけです。

 短期間に近隣に住むたくさんの子どもたちが生徒になりました。そして、1991年秋、父からの生前贈与で、借家から徒歩5分のところにあった一戸建に移り、1992年にミュージック・ラボを開業しました。
 都心は地価が高いので、相手は、学生時代から気に入っていた多摩地区に親の援助を得て古家付きの物件を購入し、1993年暮れに私設図書館を新築しました。
 相手の家は、「住居であるのに居住スペースのない家」「膨大な蔵書を抱え、本と闘う日常」として幾つかの雑誌に紹介されています。
 私と相手が合鍵を持たなかったことが最高裁の判決文に書かれていますが、合い鍵を持たなくなったのは、1992年の暮れから1993年にかけての3ヶ月に及ぶ双子出産時の入院中に、相手が私の家から預金通帳を持ち出すということがあったからです。入院中に預金を引き出したいのではなく、振込明細を見たいという理由からでしたが、最低限のプライバシーを保ちたいと思い、退院後鍵を返してもらいました。
 この後、私は、1996年春、北陸の富山大学に助教授として赴任します。

 一般的に、夫婦あるいはカップルが同居しないのは、どちらかの転勤などで同居できなくなった場合と考えられています。そのため、富山大学赴任までの期間は、同居が可能だったのに同居をしていなかったのではないかと考える人もいるようです。
 しかし、実態はそう単純ではありません。勤務地のみを問題にするのは会社員や公務員の発想であり、現実の社会では勤務時間や専門的な道具の存在、集中的にやるか、分散的にやるかといった仕事に対する取り組み方など多くの要因が絡みあい、仕事への関わり方はもっと多様化していると思います。同居していても完全に別室で住むということもあるでしょう。専門職に就く女性の割合を増やすのが国の施策であるのなら、今後ますますそういう状況になるのは必至です。

 実際に、私の友人で法律婚をしている人たちの中には、さまざまな事情で別居しているケースが多く見られます。同居協力扶助義務が法律婚夫婦に課せられているのなら、彼らは全員義務を遂行していないことになってしまいます。民法第752条で婚姻の要件として同居を義務づけておきながら、諸事情により別居をしている法律婚夫婦が多く存在するのに、事実婚の成立要件に同居か否かを挙げてもあまり意味がないのではないでしょうか。

 同居という概念は場所的な問題だけではなく、少し幅広く考えていく必要がありそうです。そうした時に私と相手が選んだ「スープの冷めない距離」というのはかなり大きな概念になってくると思うのです。

 あれから19年、私の道具は本や楽譜なども含んで増える一方です。しかし、私は今、相手と破局した後知り合った人と週の半分一緒に暮らしています。今の生活では互いの道具は同居を阻むものではなくなり、さらに進んで、職種は違うものの仕事や研究の環境も共有できるようになったからです。残りの半分を別々に暮らしているのは、勤務地が離れているためです。

註 この半同居生活は2003年1月から2009年2月まで続きました。

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深見友紀子(ongakukyouiku.com)

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