「池内ひろ美の考察の日々」に対する私のコメント
ここでは結婚・離婚問題の第一人者、池内ひろ美さんのサイトのなかの、2005年11月22日のブログを取り上げました。
まず池内さんの、「法律に結婚を認めてもらうのではないとしながら、出産では夫婦として入籍するのは、子どもを非嫡出子にしないためですね。しかし、ここですでに法律に縛られているという自己矛盾がある。彼らはそれを語りたがらないし、自己矛盾を指摘すると逆ギレされそうだが。」というコメントについて。「彼らはそれを語りたがらないし、」とありますが、私にはこれまで語る機会はありませんでしたので、今回初めて語ることにします。
私と相手は出産後わずかな期間、私の姓で入籍していました。その目的は、生まれてくる子どもを嫡出子にしたかったからではなく、相手が自身の勤める会社の健康保険組合から出産補助金をもらうためでした。長女出産時は大学院生、長男出産時は短大の非常勤講師だった私は、私側の関係機関からは出産への経済的バックアップがなかったからです。
私の代理人である弁護士は、この"ペーパー結婚・離婚"を婚姻の意思の証拠として事実婚認定に援用しようとしました。一方、相手は、一旦離婚していることでこの婚姻は無効であるという主張に終始しました。今から思えば、表層的な応酬合戦だったなと思います。私は法律婚がその継続過程で得られる権利を合理的に得ようとしただけだったからです。
「法律に縛られているという自己矛盾がある」「契約を行わないでおいて(あるいは出産の度に契約を自ら解除しておいて)、契約上守られるべきであると法律の庇護を求めるのは矛盾している。法律に守ってほしいのであれば、法律上の契約関係を結ばなければならないのは当然のことだろう。」については、契約=婚姻届と狭く捉えすぎであると感じました。さらに私は、「関係の継続」と「関係の解消」は分けて考えるべき、まったく別の次元のものであり、制度に縛られない関係を解消する際に、法の介入が必要である場合もあると思っています。「継続」と「解消」をごちゃ混ぜにしてしまうから、矛盾という考えが生じるのです。詳しくは「歌うたいのカケラ」に対する私のコメントに書きました。
私の事件は、たまたま相手が本人訴訟で最高裁まで闘うという粘着気質だったことや、高裁の判決が最高裁で逆転したこと、私が実名を出してサイトを開設したことなど、さまざまな事情が重なった結果、人々の知るところになりましたが、類似の事例はごろごろと転がっています。「10年間事実婚だったことの慰謝料は請求できないんですか。私の権利はどうなるのか」「事実婚の間に形成された財産の、財産分与はどうして請求しても払われないんですか」などが相談の主な内容であるとおっしゃっていることからわかるように、おそらく池内さんは、離婚後の生活不安に怯える、生活力のない妻たちを「離婚の学校」などで支援されてきたのでしょう。私と類似の事例の実践者たちは概してあっさりと私的なことにとどめるため、法律家や離婚問題の専門家にまでその事例が届かないのかもしれません。本当に届いていない、そう思います。
また、このブログに対するコメントのなかで、池内さんは「事実婚としての実態というのは、同居をしているということですよね。同居期間15年をその目安として年金受給も可能だとしていたはずです。同居している内縁関係や事実婚であれば、通常の婚姻と同じ法的保護がなされるということでしたよね。」としていますが、これはエイサクさんなどの見解(「一般の人々の反応 エイサクさんの日記 2005年1月5日「パートナー解消訴訟4」)とはかなり異なっていると感じます。専門家のなかでも意見が分かれるのですね。同居に関しては、私が親しくしている友人の過半数が、法律婚、パートナー婚などを問わず同居していません。大学教授や芸術家といった特異な人たちだけの現象だと思っているうちに、事態はマスコミで報道される以上に変化しているのを実感しています。「「パートナー」という認識が日本の概念に合わない」と書いてありますが、では、池内さんが考えるこの場合の「パートナー」は、現時点においてどこの国だったら合うのでしょうか。なぜ日本では合わないのか、今後も合わないのでしょうか。
「この事件の二人は、「婚姻」じゃあなくて、特定のつき合っている人同士だったんじゃないかなぁ。恋人同士でも、ひどい別れ方をすれば不法行為になるかも。でこの事件の二人は、そういうカテゴリーの中で考えるべきかも。でも原告本人のサイトを見たら、そうでもなさそうだし・・。」という書き込みは、南山大学法学部・法科大学院の町村泰貴さんによるものであると思われます。町村さんはこの書き込みをした前日、「Matimulog 男女関係一方的破棄続報」で、「現在のところ、判決文と訴訟記録の一部が公開されているのみだが、補足説明や担当弁護士のコメントなどが掲載される予定のようだ。ジェンダー論の研究者ということで、フィールドワークないしはプラクティスという位置づけなのかも知れない。」と述べ、まだ私の職業をジェンダー論の研究者と誤解しています。いろいろと判断材料が増えた今ならば、「特定のつき合っている人同士」なのか、相手の行為は、恋人同士でひどい別れ方をした場合の不法行為にあたるのか、または別の関係なのかが町村さんのなかでより明確になったはずです。是非専門家として社会に寄与できる形で伝えていただければと思っています。
(2008年4月8日 若干加筆修正)