深見友紀子 最高裁・パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト

本件に対する一般の人々の反応
Part 1

「ダメなものはダメ日記」 〜2004年11月22日「ダメなもの「パートナー関係」(2)」

[不憫なのは子供]

 私がこの判決文を読んでまず感じたのは、子供があまりにも不憫だということである。
 子供たちの立場に立つと、X女の「自分の仕事のじゃまになるから」と養育を放棄する行為は、「お前は私にとっては邪魔者でしかない」と言われているに等しい。
 こんな残酷な話があるだろうか。自分を生んでくれた母親に自分の存在を否定されるのである。もし私がX女の子供だったら、母であるX女を絶対に許さない。
 ただ、彼らが望まれずに生まれてきたとは思わない。
 判決には詳細な事情が記載されていないので憶測になるが、第一子(長女)について多少好意的に推測するなら、Y男の親が「孫が欲しい」と切望していたのかも知れない。Y男の親が出産後、X女に対し出産費用等として約650万円も支払っていることや、長女がY男の母の手で養育されていること、Y男とA女の結婚後長男はY男に引き取られているのに対し、長女はY男の母と二人暮らしを続けていることから私はそう考えた。
 長男の方については詳しい事情が書いていないのでよくわからない。生まれてからY男がA女と結婚するまで施設で養育されていたというのは一見すると驚いてしまうが、一卵性双生児一方が死亡するという異常出産ということなどから考えると、ひょっとしたら長男の方は病気なり障害なりを抱えていたのかも知れない。我が子を施設で養育すること自体、よほどの理由があったと思いたい。
 細かい事情はわからないが、母親には恵まれなかったとしても、長女はY男やY男の母に、長男はY男に望まれて生まれてきたのは確かだと思う(そう信じたい)。だから、どうか母の愛の欠如に腐らず健やかに育ってほしい。そう心から願わずにはいられない。「ジェンダーフリー」の旗手が体売っちゃまずいだろう
 気になるのは、子供を出産したことについて「出産費用」を受け取っていることである。単に出産にかかる経費を男性の負担としたのならともかく、長女出産の際にY男の親から受け取っている650万円は一体何を意味するのだろう。
 子供を産むときに650万円もかかるものなのかどうかは知らないが、もしこれが出産という行為についての対価だとするなら、これは金で出産を請け負ったことに他ならない。
 金で体を売ることがたとえ女性の同意があったとしても女性の尊厳を侵すものだとするなら、自分は産みたくもない子供を「(特別な)他人」のために産んでやり、その上金まで取る行為は、女性の尊厳を著しく侵す最低の蛮行である。
 都合の良いときだけ子供を利用する卑怯さ
 私が「ふざけるな」と思ったのが、敗訴後のX女のコメントである。
 旧来型の内縁の夫婦だけでなく、お互いの職業上の理由から別居し、婚姻届を出さない事実婚を選ぶ夫婦は増えている。今回は子供までいるのに法的保護を与えないと判断しており、憤りを感じる。今後さまざまな媒体を通じて問題点を指摘していく。 (「毎日新聞」(2004年11月18日11時38分)
 子供が自分にとって邪魔者でしかないとY男に養育の全てを押しつけ自分の養育義務を逃れてきたくせに、今になって子供を持ち出すのは卑怯である。私がX女の子供なら「お前に親面する資格はない!」と暴れていると思う。
 こういう意見に対しては、「何だかんだ言ったって女性は自分のお腹を痛めて産んだんだから」という反論があるかも知れない。しかし、敢えて言うがたかが子供を産んだくらいで親面されたら子供としてはたまったものではない。子供を産むこと「だけ」がそんなに偉いのか? 断じて違うと私は思う。
 親というのは、我が子を愛情を注いで育てることによって「なってゆく」ものである。少なくとも、生まれてくる子を仕事の邪魔者としか見ず、男に養育の全てを押しつけてきた人間がなれるものでないことだけは断言できる。「生みの親より育ての親」という言葉がある。親子の感情は時間をかけて形成していくものであるから、まさにその通りだと思う。「子はかすがい」という言葉がある。ならば、自らかすがいを抜いて相手に預けた以上、接合部が外れたときにかすがいを持ち出すこと自体おかしな話ではないか。
 小括
 以上では子供のことを中心に論じてきた。これは、この事案で一番の被害者はX女でもY男でもなく、子供たちだと思ったからである。親のインチキ思想の実験にされ、「仕事の邪魔」と見なされた彼らが一番同情すべき存在であろう。
 X女に対して心底うんざりしたのは、彼女が徹頭徹尾自分のこと(自己実現)にしか興味がない点である。そういう生き方を否定する(止めさせる)権利は私にないが、自立した生き方とやらが他人はおろか我が子までを犠牲にしなければ成り立ちえないものならば、私には到底それを肯定的に評価することはできない。はっきり言って私にはエゴ丸出しの醜悪な生き方としか映らない。
 パートナー関係について法的保護を与えるべきかどうかについては、書こうとするたびに考えが揺れ、自分の中ではっきりした結論がまだ出ていない。だから、この判決の法律的な「肝」についてはちょっとペンディングさせて頂く。
(この項つづく)

投稿 2004.11.22 in 社会・経済 | リンク用URL

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