No.5 夫婦別姓について
私が相手と法律婚をしなかったのは、自分の姓を変えたくなかったというのが最大の理由です。
一般的に、結婚に際して女性が姓を変えないのは、改正によって仕事上支障がある場合であるとされています。結婚前と後とで論文などの著者名に一貫性がなくなり不利になるため、特に大学教官をはじめとする研究者のなかには、仕方なく事実婚をしている女性が多くいるようです。
私の場合はそうではありません。19年前の私は、年齢は28〜29歳でしたが、やっと2度目の大学である東京芸大を卒業する時期にあり、積み上げたキャリアなど何一つありませんでした。それでも、結婚を考えるようになって一ヶ月も経たないうちに、姓を変えるのは絶対嫌であると確信したのです。
男の兄弟がいない環境で育ったことや、大阪府立第一高等女学校を前身とする、出席簿の順番が女子から始まる高校に通っていたことなども影響していると思いますが、家賃を出し合わなければ新居ももてないのに、なぜ女だけが姓を変えなければならないのか、といった不満が一気に噴き出し、大事なものをもぎとられるような危機感をもったことを鮮明に憶えています。
最高裁での弁論の6日前に相手が提出した答弁書に次のような文があります。(2004年10月8日付) 「婚姻制度は旧姓の保持という両者の利害が衝突した場合をあらかじめ想定していて、公平性の観点から、全く新しい姓を名乗ることを認めているのであり、上告人より、「深見」「○○」の両姓から一字ずつ取り入れた「○見」(○ヘンに見という漢字)なる姓の提案がなされたにもかかわらず、被上告人はそれを承知しなかったのであるから、本件においては、婚姻制度上の姓の問題は理由になりえず、両者には婚姻意思はなかったと判断されるべきである」(原文通り)。
これを読んだとき、相手がこのような提案をしたことを私は思い出しました。すっかり忘れていたことでしたが、姓の問題でもめるとは予想もしなかったはずの男性が、このような奇想天外なことを言い出すに至ったことからも、互いに姓を変える気など一切なく、改姓に関して一歩も譲らなかった事実がわかると思います。
新しい姓をつくるなどということが可能かどうか、私は知りません。仮に新しい姓をつくることができるようになり、さらにはそれが原則となったならば、婚姻時の改姓に関する男女の不平等や、民法改正案で大きな議論となっている、子どもの姓をどうするかという問題も解決するでしょう。しかし、旧姓を通称として使用する人はおそらく減らないでしょうし、まず多くの男性が法律婚を拒絶し始めるに違いありません。こういう事態になって初めて、夫婦同氏の矛盾がやっと一般の人々に理解されるようになると思います。
現在、多くの職場で旧姓を通称として使用することが認められるようになりました。しかし、企業や公官庁などで旧姓の通称使用が一般化するずっと以前から、芸術の世界では女性が旧姓や芸名で仕事をし、外見上は夫婦別姓を実践してきたので、私には珍しいことでも何でもなく、何を今更という感じがしないでもありません。
通称として旧姓を使用している女性は、結局日常の生活において二つの姓をもつことの不自由さに目をつぶり、一つの姓だけを使うことのできる夫に対する不公平感を押さえこんでいるに過ぎないと思います。このような形で旧姓を使っていくことは、見せかけの夫婦別姓であり、真の夫婦別姓を後退させるばかりです。
夫婦同氏の義務だけではなく、同居協力扶助義務しかり(コラムNo.4参照)、民法第752条に書かれているこれらの婚姻の要件にコソコソと例外を設けて得するのはいったい誰なのでしょうか。
今回、私と相手とのパートナー婚の実態は、終始法律婚と比較して論じられてきました。
しかし、法律婚の内実が崩れつつある現実に目を背け、その法律婚の建前だけの規定と照らし合わせて、婚姻に準ずるかどうかの線引きに躍起になる無意味さに私は気づきました。
法律婚をしている人の義務違反に寛容になるのであるならば、それ以外の男女の関係については、法律婚の規定と照らし合わせるのではなく、別の基準から判断したり、男女の意識や個人間の契約などを重視するべきであると思います。