「あるライターのコメント」 に対する私のコメント
このライターさんのブログにコメントをしようとして随分長い日数が経ちました。「どうでもいいや・・」という気持ちになってしまったからです。
「女性が仕事で成功するために、社会や家庭で犠牲になるのが許せないタイプの人だ。」・・・‘社会や家庭’と安易に並べてしまったために、ライターを生業にしているというのによくわからない文章になってしまっています。
また、「男女の社会的関係を世に問ういい機会として行った訴訟として話題になった」というのは事実ではありません。少しでもそういう風に話題になったのであれば、当事者である私がまずそれを感じるからです。
私がサイトを立ちあげていることを"あまりのあり得なさ"と書いていますが、その程度のことが"あまりのあり得なさ"ならば、世の中、あり得ないことだらけだと思います。
「仕事ってなに?」と聞かれて、「私のすべてです」と答える人がいてもいいと思います。
「子育てのほうがどれだけクリエイティブなことか! 子どもに恵まれ、育てることができるのは、どれだけ幸せなことか!」
これが正しければ、少子化にはならないでしょう。そう言うと決まって「ほとんどの人、特に女性は、子どもに恵まれ、育てることができるのを幸せだと思っているのに、経済的な状況で、産みたくても産めないのです」と反論する人がいますが、これは反論にはなっていません。世界中で、難民キャンプなど、もっともっと過酷に状況で子どもがどんどん生まれているからです。子どもがいないほうが幸せだと思う人がいてもまったくいいはずです。
「ライターと子育てとどちらがクリエイティブか?」こんなことを自問するほうがあり得ないことです。そもそもクリエイティブって何ですか。子育てがクリエイティブと思う人や思わない人がいてもいいと思います。
人間は自分の経験からしか発想できないものですが、ライターは自身の経験していない世界にも想像力を働かせてこそ、人の出来事やひいては人生や社会の行く末についても書けると思います。偏狭で盲目的な保守性こそが世の中をだめにしていくと感じます。いい加減な気持ちでライターなどと自称するのならば、クリエイティヴな物書きになりたいと思っている若い世代にライターの仕事を譲るべきでしょう。クリエイティヴな子育てに専念するほうがよりクリエイティヴになると思いますよ。