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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

民法の研究会

 東北大学民法研究会で「最高裁パートナー婚解消訴訟」が取り上げられるようです。私は音楽家だし、傍聴の許可をもらったとしてもこの日は仕事が入っていて行けませんが、この事件についていろいろと語られるようになったことはうれしいです。

 日時 2005年7月21日(木) 午後3時
 場所 東北大学法学部棟 2F 大会議室
 報告者 水野紀子氏(東北大学)
 報告内容 「婚姻外の男女関係の解消と民法の保護」
(東北大学21世紀COEジェンダー法・政策研究センターとの共催)
 参考文献 参照判例として
 最一小判平成16年11月18日(判時1881号83頁、判タ1169号144頁)
 本件判批として
 石川博康「判批」NBL799号5頁
 本山敦「判批」ひろば2005年5月号54頁
 本山敦「判批」司法書士2005年4月号86頁
 水野紀子「判批」ジュリ1291号78頁
 良永和隆「判批」ハイローヤー235号71頁


デジタルデバイドが原因の、FとI

 裁判相手(最高裁パートナー婚解消訴訟)が書いた上告受理申立て理由書の8ページに「上告人が団長となって催行されたパリ公演のメンバーに対する(私の)不当な干渉行為」とあります。

http://www.partner-marriage.info/p/jk8.jpg

 このパリ公演とは、1999年12月に国際交流基金の助成によって、パリ日本文化センターで行なわれた、生け花と電子オルガンのライヴパフォーマンスです。

 当初団長だった私は、生け花側のマネージメントをしていた上告人の態度に嫌気がさし、団長を降りました。

 降りた原因は・・

 メンバーがメールに画像データを添付して意見交換をしているのに、パソコンを持たないというよりもむしろ、パソコンを否定する人が1人(上告人)いて、仕方がないからメンバーはその人にはわざわざプリントアウトしてFAXするのですが、上告人は「カラーじゃないから、状況がつかめない」「連絡が遅い」などと言って怒る。しかも他のメンバーは他人なので、パートナーであった私に全部不満をぶつける。それを20回ほど繰り返されてついに私はキレた・・

 そういったことでした。

 たぶん6年も経った今でも、団長を降りたのは私のわがままだと思っているでしょう。

 この公演に際して、私の親友、電子オルガン奏者の海津幸子さんは、作曲家野村誠さんに新曲を委嘱しました。それが「FとIはささいなことでけんかした」。もちろんFは私です。
 その後、この曲は日本を代表するアコーディオン奏者の御喜美江さんによりアコーディオン版「FとI」として演奏され、ドイツではアコーディオンを学ぶ人たちの人気曲になっているらしいですが、今月日本で再演されることになりました。

7月18日(祝)
14:00開演
アストホール(近鉄・JR津駅より徒歩3分)

7月24日(日)
14:00開演
入間市文化創造アトリエAMIGO!(西武池袋線仏子駅より徒歩3分)

 確か、海津さんに野村さんを紹介したのは私だったような記憶が・・・・。でも、私はまだ一度も実際にこの曲を聴いたことがないのです。

 「FとI」ってどんな曲なのかな。


微妙・・・

 「平成16年度重要判例解説」で最高裁パートナー解消訴訟について水野紀子さんが解説していますが、それに対するエイサクさんのコメントを読みました。

http://sea.ap.teacup.com/eighsaqu/60.html

 最高裁判決が傍論で示した非法律婚関係における「関係継続に関する合意」という契約概念につき、契約締結は自由だが、それが「裁判所が民事的に担保できる有効な契約と評価できるかという判断は微妙(水野・前掲)」と疑問を投げかけている点が興味深い。

 微妙か・・・。
 
1.言葉に言い表せないような、味わい深い趣。
2.「微か」「ほんの少し」という意味を強調する表現。
3.問題が複雑で判断に困る様子。時に否定的なニュアンスを含むこともある。
4.良くないという意味で使うことが最近多い。


 「平成16年度重要判例解説」誌上で「微妙」なんて単語を使うの、法律家らしくない感じがしました。

 さらに・・

 「性的な関係を含む協力関係を債務として内包する契約を有効とするのは、公序則との関係で難しいのではないか(水野)」、また「将来に向かっての関係離脱の自由は合意によっても放棄できないと考える(水野)」

 性的な関係を含む協力関係を債務として・・バカらしくないですか。
 将来に向かっての関係離脱の自由は合意によっても放棄できないと考える・・。当然じゃないですか。

 この続きは、「一般の人々の反応2」で。


コラム9「なぜ長男に会わなくなったか」の補足

 この事件の最高裁の判決文がネット上にアップロードされて以降、多くの人たちが最も敏感に反応し、批判を集中させてきたのが長男の養育に関してでしたが、それに対する私のコメントとして、7月7日、コラム9「なぜ長男に会わなくなったか」をアップロードしました。その後、若干の修正を行っていますが、今日中には完了して、文章として確定するつもりです。

http://www.partner-marriage.info/c9.html

 反論といいながら論になっていないものや、第三者としての立場といいながら主観そのものであったりするものに逐一お答えするつもりはありませんので、代わりにコラム9を読んでいただければと思います。

 この事件における子どもの養育に関して、書かれたものの水準はともかく、ブログにさっさっと短時間で書ける人たちが大勢いることにはとても驚いています。暇なのか、能力が高いのか、深く考えていないのか。とにかくまず思ったことを書くという習性なのか。

 仕事の原稿を提出するときも、文字のフォントや大きさを変え、時には縦書きにしたりして、たとえ短い原稿でも何度も推敲を重ねて毎回やっとの思いで完成させていて、執拗なほど初稿、第二稿に目を通さないではいられない私にはとても信じられないことです。私は能力が低いのかもしれないなと思っています。

 パートナーのSさんがコラム9を読んで言いました。「突然君が長男の授業参観に行くことも可能なんだね」


育児のアウトソーシング

 「働く女性を支援することで少子化傾向に歯止めをかける」という政府の方針は、少子化の歯止めに対してはまったく効果無しですが、派生的な効果を生み出しています。その1つが、“育児のアウトソーシング”が意識の上では認められるようになったこと。子どもを産んでも母親に働いてもらうためには、誰かが母親の代わりをしなければならないのだから当然といえば当然です。

 昨今、祖母が孫の面倒をみていることに対して社会は非難しなくなったばかりか推奨さえしているように感じられます。“育児のアウトソーシング”は知らない間に祖母まではOKになったみたいですね。

 しかし、無職で健康な祖母が同居しているか、近くに住んでいるとは限らない。遠隔にいる場合もあるでしょうし、健康上の理由などでできない場合もあるでしょう。これから生涯現役が増えると、“孫育て”になんかに手が廻らない老人が増えることも考えられます。高齢化により、祖父母の父母が生きていて介護が必要ということももう現実にあちらこちらであるし、経済的に余裕がなくて定年後も働かなくてはならない老人も出てくるに違いありません。

 社会的な意味での“育児のアウトソーシング”はどこまでが「公序良俗」に反しないのでしょうか。保育園の場合、現状では、延長保育はOKだけど、24時間保育はまだNGなのでは?

 京都・東山三条に長年夜間保育に取り組んでいる保育園があります。先日開かれた京都の保育園と京都女子大との懇談会で「あそこは、祇園で働く人が多い土地柄だから・・」と保育関係者は言っていました。まるで、延長保育や24時間保育は夜間に働く看護士か水商売の女のためにあるような口ぶり。職種によっては、オンとオフの境目がはっきりとしない人や、オフのときにどれだけ資料を読めるか、調査できるか、実験できるか、練習できるかで仕事への評価が決まる女性たちも多いのに、保育関係者はまだまだ一元的にしか見ていません。

 あのいわさきちひろも長野の義母に乳飲み子を預けて、子どもの絵を描くことに集中したのはほとんどの人が知らない事実です。保育園もなかった時代、夫が弁護士を目指して無収入だったので、生活を支えるために義母に子どもを預けて絵を描き続けたといいます。たぶん彼女には後ろめたい気持ちがあったに違いありませんが、誰もいわさきひちろの夫が勉強のために育児をしなかったことを非難しなかっただろうし、今でも非難されないでしょう。逆ならば、「本当に意欲があるのなら、子育ての合間にでも勉強できるでしょ」なんて周りに言われて、おそらく弁護士になりたいという夢は叶わなかったと思うのです。

 何か志を持っている男が育児をしないのは、昔も今も「公序良俗」に反しない。

 「公序良俗」を切り口に、私は、法学者の水野紀子さんが書いたパートナー婚解消訴訟の解説 (「平成16年度重要判例解説」)に対してコメントするつもりなので、しばらく「公序良俗」にこだわってみることにします。

 「公序良俗」って何ですか。


男性の社会学者もセールに行けば?

 きょうは夏のセールの初日である。冬のセールの初日である1月2日に仕事が入っていることはないが、夏のこの時期の金曜日は微妙。まず金曜日が大学の稼働日ではないことに感謝である。

 昨日の夜、京都駅を夜11時に出るレディーズドリーム京都号に乗って東京に戻ってきた。朝、まず銀座の三越・松屋に行って、そのあと3時頃には新宿の伊勢丹に。

 お正月のセールのときのようなすごい人出だ。「新宿駅はこちら」というプラカードを持って立っている店員もいる。期末試験直前だからか、女子高生の姿はほとんどないものの、金曜日の昼の3時だというのに、主婦だけではなく、若い女性たちも滅茶苦茶多い。

 平日のこんな時間に、みんな働いていないのだろうか。アルバイトやニートなんだろうか。

 男性の社会学者も文献ばかり読んでいないで、昼間のデパートに来てウォッチングしてみると世の中が見えるし、セール初日にお気に入りのショップに駆けつけるぐらいの余裕も必要だと思う。 


どれが私の進む道?

 きょう、親友のK.Kさんと食事をしました。
 ただのランチではなく、私がこのパートナー婚解消訴訟を背景に、博士号を取るための最初のミーティングです。すでに教授の私は音楽教育で博士号は別に要らないし、もちろん一日のほとんどの時間は本業で目一杯つまっているけれど、モチベーションに関してはこの問題のほうがずっと高いからです。

http://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?Code=230012&OTID=e47c3925e4bc844e6621367e3644d657

 レストランへ向かう途中、法学者の水野紀子さんが書いたパートナー婚解消訴訟の解説を書店で読みました (「平成16年度重要判例解説」(ジュリスト臨時増刊(第1291号)6月10日号、有斐閣) 。“公序良俗”は時代によっても変化し、「できちゃった結婚」なんかも、つい最近まで“公序良俗”に反していたのではないかなと思いましたが、詳しくはまた「一般の人々の反応(2)」で。

 自身の説を述べるために、水野さんの解説の一部を引用しているブログなどがすでにあるみたいですが、原典にあたらなければ意味がないばかりか、この事件について間違った認識をするかもしれません。たった見開き2ページですので、立ち読みでもOK。


娘が姓を変えるということ

 高裁での審判中、相手が、関係の一方的破棄による慰謝料を認める代わりに、長女の親権を私に移動をしたいと言ったことがありました。娘が私立大学にでも行けば、一年の授業料だけでも100万円。それだったら、ここで私に100万払ってもいいかと思ったに違いありません。その頃、再婚してから職をみつけた妻がリストラに遭ったと裁判官に訴えていましたが、私は娘が存在するだけで十分だし、親権なんてどうでもいいので、この取引話を無視しました。

 そのことをこの間娘に話したら、「私はまだ高校生で無名だから、別に深見になってもいいけど。でも、お父さんがそれを望んでいるのなら、とことん○○(相手の姓)で居座ってやるわ。」と言いました。

 
 もし、16歳の子どもが人生の途中で名字が変わるのなら、多くの人がそのことを可哀相だと思うでしょう。「その名字でお友達を作り、学校でも知られているのに」とでも言いながら・・・。それなのに、結婚で変わることについて、可哀相だという人はほとんどいない。なぜなのでしょう。
 私や現在のパートナーSさんのように、その姓で20年ほど仕事をしてきたのなら、ある日突然改姓を求められるのは人権に抵触するほどのこと。「2人とも大学教授だから、論文の著者名が一貫しないから不便なのでしょ。」そんな頭の先っぽのことだけではなく、全人格に及ぶ問題です。

 さて、ここで夫婦別姓と少子化問題を比較してみることにします。
 ずっと女性の社会進出が少子化の原因と言われてきましたが、最近急に、男女共同参画時代の実現が少子化を阻止するという言説が主流になりました。これってウソくさいです。男女共同参画を進めたい人たちが少子化問題を利用し、少子化を阻止したい人が男女共同参画を利用しているとしか思えないからです。
 これと似たようなことが夫婦別姓の阻止でも起こっているのでは? 夫婦別姓を阻止したい人たちは、別のものを阻止したくて、あるいは何かの既得権を守りたくて夫婦別姓の阻止を利用しているのではないですか。

 娘の名前はおそらく日本に1人しかいない珍しい名前です。深見より○○のほうが合うのです。一生、その姓と名前でいいと思っています。


夫婦別姓に対する誤解とハイパーガミー

 昨日、久しぶりに娘と会った。日曜日ぐらいしか会えないうえに相互の都合で度々流れてしまうのだ。

 ピザを食べながら、娘が家庭科のアンケート・レポートでCマイナス2(この-2というのがなんだかよくわからないが)という点数をもらったと話した。
 そのレポートは、生徒たちの結婚観や家庭観を問うものであったらしい。
 「あなたは将来結婚したいですか」「あなたは子どもを持ちたいですか」という質問に対して「いいえ」と答えた彼女は、「クラスの1/3ぐらいの女子は「いいえ」と書いたはず。」と言った。「男の子は?」と聞くと、「「はい」だと思うよ。男子は何も考えていないから。」(何も考えていないか・・・・)
 「つい最近の新聞記事に、専業主婦志望が増えているって書いてあったけど。」「それは私たちよりちょっと上の人たちでしょ。」(確かに20代の女性たちだった) 「私たち高校生の場合、中学校で成績中以下の女の子たちは「早く結婚したい!」と言っている。」
 
 レポートの点数に不満な娘は、「“普通”に書けばいい点をもらえたと思う」と言う。“普通”とはどうも「男は仕事、女は家庭ではなく、男も女も、仕事も家事も育児もすること」らしい。「その先生、真面目そうな人だもん。」真面目そう=男女共同参画社会の実現か・・・。

 私が高校生だった頃、もちろんこんなアンケートやレポートはなかった。勉強して人も羨む大学に入り、企業に就職しても、数年のうち多くの女性がそれ以外の選択肢がないのかと思うぐらい結婚・出産退職していった。それと比べて娘たちには考えるチャンスが与えられている。

 娘と話していて気づいたことが2つある。1つは、この家庭科の先生は、おそらく妻が通称として旧姓を使用することを「夫婦別姓」と生徒たちに教えているということ。これは夫婦別姓を推進させたい人たちには由々しき事態に違いない。
 もう1つは、「結婚はしたくない、彼氏がいれば十分。」と言う一方で、娘には「彼氏には自分より頭のいい、バリバリ稼ぐ人がいい。」という願望があるということである。難しく表現すれば、ハイパーガミー(女子上昇婚)だ。女は自分より上の男を求め、男は自分よりも下の女を求める。これは未来永劫なのかもしれない。
 
 「政治家のおじさんたちは、“今の若い娘は・・”なんて決まったように言うけど、私たちだっていろいろと考えている。」
 まだ子どもだと思っていたけど、期待することにしよう。


かつての大学院の仲間○○○さんへ

 昨晩、次のブログをみつけた。書いたのは、大学院時代の私を知り、もちろん今の私も知る人である。時期は、私が最高裁パートナー婚解消訴訟オフィシャルサイト(http://www.partner-marriage.info/index.html)を開いた直後、2004年12月の初め。

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 いくつかのブログで話題になっていた。
 私自身が事実婚を選ぼうとしているので関心がわいた。
 で、リンクをたどってみたら、なんと当事者の女性は私の知り合いだった。

 ここ数日、彼女の立ち上げたオフィシャルサイトを読んだりして、ぐるぐると考えてしまい、職場でもひととき「月給ドロボー」状態に陥りもした。
 あのひとが、そんなことになっていたなんて。

 学生時代の彼女は、華やかで目立っていた。
 学生専業の私とは違って、すでにいくつかの仕事をもっていて、「女性の自立」に対しても非常に意識の高い人だった。
 利発で、研究の面でも光っていた。
 その雰囲気は大学院を修了したあともそのままで、研究職についてからの彼女は、とにかく怒涛のように研究を重ねていった。到底かなわない、と思いながらあこがれてみていた。およそ15年の間に共著も含めて6冊の本を世に出し、18本の論文を書き、3つの翻訳にかかわり、そのほかにもたくさんの仕事をこなしてきているのは、並大抵のことではない。

 彼女が子どもをもったことも、もちろん知っていた。「子ども用のコンピュータってあるけど、うちの子にはiMacやらせているの」彼女はそう言っていたような気がする。だから、子どもをそれなりに育てながらあれだけの仕事をしていたのかな、という印象が残っていて、ただただすごいんだなぁ、と感じていた。

 かわいくないはずのない子どもと意識的に離れ、
 パートナーとして大切なはずの男性とも意識的に距離をとり、
 「ひとり」に自分を追い込んで、あれだけの研究成果はそんなふうにして産み出されてきたのだ。
 それほどまでにしなければ、できなかったことなのだ。

 何かを得るには、何かを捨てなければいけない、ということをあらためて感じさせられた出来事だった。
 でも、感情的には、違和感が残る。それほどまでにしなくても、なんとかならなかったものだろうか。パートナーだからこそ、一緒に助け合うことってできなかったのかな、とも思う。
 きれいごと、だろうか?
[ 更新日時:2004/12/05 22:44 ]
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 私はこの人が想像するように自分を追い込んだことはないし、パートナー婚の婚姻中、裁判相手に応援してもらって仕事をしてきた。ただ30代のあの頃、自分で子どもを育てるという選択肢は考えられなかっただけだ。

 Y教授が同じ大学院仲間であるT嬢の結婚披露宴で「おめでとう。子育てを終えたら博士課程に戻ってきてください」とか言ったことがあった。女をそんな風にしか見ていない、と悔しかった。男性研究者が慢性的人材薄である音楽教育の世界でさえも、バリバリ仕事をしている女性のほとんどが独身か結婚していても子どもがいない。子育てをした女性はキャリアの面で10年遅れをとる。40代で講師もザラ。これが切磋琢磨の科学などの世界だったら、遅れをとるぐらいでは済まされない。芽さえ出ない。大学院を出たときすでに34歳になっていた私はどうしてもそこから抜け出したかった。

 「何かを得るには、何かを捨てなければいけない」と映るのかもしれないけれど、私はできる限りのものを得たかったのである。

 怒涛のように仕事ができたのは、都会派の私は富山では研究以外に何もやることがなかったからと、毎週サッサッと東京に戻ってしまうので、いつまでも富山にいる人ではないと思われて、長期的な役割を持たされなかったためである。午前2時まで研究室にいた。いつも研究者公募情報(http://jrecin.jst.go.jp/)を見ていた。ああ、懐かしき8年間だ。

 娘は今も赤(ピンク?)のiMacを使っている。最近は携帯ばかりだけど。裁判相手である父親はタイプすら打てないのに、娘は“早打ち少女”である。

 この週末、レッスンとミーティングで東京に戻ってきたが、パートナーSさんは所用のため京都にいるので、きょうの夜には京都へ向かう。Sさんがもし東京にいれば、火曜日の3時間目に間に合うように東京を出て、東山七条の女坂をキャリーを引きずってダッシュするところなのに・・・・。

 相手が変われば関係性も変わる。助け合い方も変わる。