記事一覧

 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

1年に一度、3階の書庫を整理する

 27日~29日は京都。卒論指導や今年最後のドラムレッスン、マンションの掃除などをして、昨日の午後、東京に戻ってきました。
 きょう大晦日は、パートナーのSさんと自宅の大掃除。2階に少しずつ貯まった本や資料を3階に運びました。(私の東京の自宅は、地下と1階が仕事場、2階が居間&水まわり、3階が書庫&クローゼットになっています。)
 2000年夏、3階を改装して、左側の壁一面をスライド式書棚にし、右側をクローゼットに。これから死ぬまでに買う本を全部収納するつもりでいましたが、ひょっとしたら無理かもしれないです。Sさんが研究室から持ち帰った本が次第に貯まってきたので、彼に少しスペースを提供することにしたからです。

 個人主義が少しだけ崩れました(笑)。

 本に対する考え方は人それぞれだと思います。コレクションすることに意義を見出す人もいるだろうし (最高裁の裁判相手は美術書のコレクターでした)、情報を収集するための1つの手段と割り切っている人もいるでしょう。

ファイル 75-1.jpg  ファイル 75-2.jpg 

 私は充分に吟味して購入するタイプです。毎年増えていくこれらの本を眺めていると、音楽教育関係の本が多く、この分野でもまだまだ私が果たすべきミッションがあるような気がしてきました。2006年はそれも探そうと思います。


スーパー上告・続報

 12月21日のノートブックで話題にした「パートナー婚解消訴訟のスーパー上告模擬法廷」が、ある大学のゼミで開かれたそうです。以下がゼミの学生さんの報告文です。

http://naked59780.blog33.fc2.com/blog-date-20051222.html

 報告によると、裁判相手(上告側)の弁護士役であるこの学生さんは、裁判相手の上告理由書に沿って弁護したそうです。当然といえば当然ですね。

1.十年以上にわたる関係ではあるが、途中、四度にわたる、おおむね半年以上の絶交期間がある。
2.上告人は、被告を刑事告訴の対象として、これを取引にして不当な要求をしている。
3.子供の扶養は、上告人は、一切関知せず、長男にあたっては、難産を理由とし一度たりとも面会してない。

 根拠にあげた上の3つの事柄のうち、まず1と2は事実ではないですけど、裁判相手(上告側)の弁護士役ですから、当然自分たちに有利なことを取り上げますよね。仕方がありません。
 同様に、“両者の関係が相互の愛情と信頼関係によって成り立っているとは到底是認できない”、“「特別の他人」にすら該当しない腐敗した関係”というのも上告人自身の言葉です(念のため)。

 この報告のなかで興味深いのは次の文章です。

 新たに男女関係を考えて行くならば、ある程度、慰謝料を認めるべき事件だったのかも知れない。原告側(ゼミでの)の主張にもあったが、「スープの冷めないぐらいの近距離に住み、特別の他人として、親交を深めることにしました」という、契約自体は、なんら公序良俗に違反するものではなく、その契約の破棄という点に対する不法行為なり、債務不履行なりをある程度、厳格な用件の元認める必要が、現代の多様化する男女関係においてはあるのかもしれない。

 このゼミ生たちは、「最高裁の平成16年11月18日 第一小法廷判決は、新しい男女関係の趣旨を尊重したものといえるかもしれない」と言う南山大学法科大学院の町村泰貴教授よりも少なくとも先を見ているはずです。

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2004/11/jugement.html

 また、「内縁など事実婚を選ぶもの達は、そもそも、この婚姻という制度の窮屈さに(氏の同一、共同扶助、財産共有・・・)不満がある。」というこの学生さんの見解は、2005年現在ではおそらく正しいでしょう。でも、私の周りでは、芸術家たちを中心に、婚姻という制度のなかにいるのは“恥”であると思っているカップルたちがボチボチ出てきましたよ。


クリスマスはドラム三昧

 昨日は19時15分発の新幹線で京都を出たのに、途中雪のために列車が止まり、東京に着いたのは0時40分。臨時の中央線で家の近くまでたどり着けたのですけど、前の日3時間ほどしか寝ていなかったので本当にくたびれました。冬の季節、富山に通っていた頃は雪で列車が動かなくなることをいつも心配していましたが、東海道でしかも12月にこんなに雪が降るとは・・・。

 一夜明けて、きょう、ドラムセットが届きました。京都でドラムを習い始めて半年。やっと買う決心ができたんです。
 でも今日のドラムセットはレンタル。我が家の地下でドラムを叩いてどのぐらい建物のなかで響くか、外に音がもれるのかを確かめてから買ったほうがいいという友人のアドバイスで、48時間借りることになったのです。
 娘とそのバンド仲間が来てくれました。彼女たちに演奏してもらい、私は自宅の周りをウロウロ。

 確かにバスドラムは響くなぁ。

 安い買い物ではないし、場所は取るし、早稲田の住宅密集地で13年間一度も騒音の苦情がなくやってきたのに、変なことになっては困るという気持ちで一杯です。
 
 「ギターの音量、もうちょっと落として」と言っても、言うことを聞くのはしばらくの間。知らないうちに娘はアンプのボリュームを上げています。

 「だって、スタジオではもっと大きな音で練習しているよ」

ファイル 73-1.jpg

 京都ではマンション暮らしの私。こういうとき「京都のお寺さんを買収したい!」と思ってしまいます。


スーパー上告

 このノートブックのアクセス解析をしてみたところ、ある大学のゼミで最高裁・パートナー婚解消訴訟が課題になったことを知りました。
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 まあ、この事件を更に、スーパー上告(笑)して、グループで対決(模擬法廷)します!ちなみに、私は、男性の方の弁護士役です(笑)
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 このブログを見た人が○○大学のサーバからアクセスしているのもわかりました。男性には弁護士がついていなくて本人訴訟だったこと、この学生さんはもちろんのこと、指導教官も知らないのではないかな。

 「事実婚として認定するかしないか」だけではなく、この事件はもっと多様な内容を含んでいるのですが、若い学生さんたちがどのぐらい理解してくれるか、楽しみです!

 追記 大学名は匿名にしました。(12月21日22時10分)


やっと年内の授業が終わった

 他の曜日は先々週終わったのだけど、国民の休日、学校の行事と重なって休講の多かった月曜日はやっと昨日、年内の授業が終了した。

 5時間目の総合教育科目「子どもと音楽」
 先週、レポートの課題を伝えたばかりだというのに、しかも締切は来年の1月末だというのに早々と提出する学生が数名いた。ここ2、3年、こういう傾向が顕著になったように思う。
 字数や枚数、締切ばかりにやけに神経質。“手っ取り早く出しちゃえ”という態度。能率的とか、効率的というのでは決してない。特に社会科学系の学生に多い。 

 規格に合わなければオミットされてしまうことがある一方で、たとえば他人は2枚のところ、敢えて100枚書くことによってグ~ンと抜きん出ることもあるのに。
  
 彼女たちの多くは、仕事一筋の父親と専業主婦、あるいはパートの母親の家庭で育ってきた。何年か経つと、仕事でつけた「段取り力」や仕事と家庭の両立で身についた「隙間時間の有効活用術」をもった(AERA 2005年12月26日、「働く母の受験成功術」)人たちの子どもたちが大学生になり、この傾向に拍車がかかるのではないかなぁと思う。大学時代ぐらいは、いっぱい試行錯誤したほうがいいのになぁ。ジミ~に積み重ねた時間が将来の力になるのになぁ。

 年内のノルマは会議1つを残すだけになった。でも、12人分の卒論チェックが残っている。
 ずっとモニターを眺めていると目から血が出そうだ。

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追記 このノートブックを読んだパートナーのSさんが「隙間時間といい加減さは関係ないと思う。働く母を否定することになる。」と連絡してきたが、この記事を読んで、私はどうしても「追い詰められた結果、効率を求め、どこかいい加減にしないとやっていけないような“圧迫感”」で胸が一杯になったのです。

 同じ号に、作家の半藤一利さんの人生が載っていて、「1つのテーマだけで多いときには60~70人に取材したという。結婚して子どももできたが、週刊誌の記者として飛び回っていて、まともに家に帰らない。あいそをつかした妻が、ある日出奔した。だからといって仕事の手を緩めたりはしない。幼子は産婆の母に預け、再び会社の仕事と歴史の研究にのめり込む。帰宅すると、敷きっぱなしの布団に頭からもぐりこんで、資料を読む。翌朝はそこから這い出して出勤。掛け布団はトンネルのようになったまま固まっていた。」と書いてありました。

 私は東京医科歯科を中退して東京芸大を受験するまでの、24歳の半年間、このような生活をしていた。いいな、昔の男は一生それが出来て!!


居心地のよい家庭の危険度

 何か事件が起こると決まって「親子関係が悪い」という人たちや、家族崇拝主義者たちばかりではなく、幸せな家庭環境が何よりも大切と感じている人たちも読むといいのではないかと思う文章を紹介しましょう。

 丸山健二 『生きるなんて』(第2章 時間なんて)

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 将来につながる、現実的な目的を持ち、それに向かって邁進している者は、たとえ雇われの身であっても、残業と早出の日々を余儀なくされる厳しい環境のなかにしたとしても、その多忙な時間は百パーセント彼のものなのです。
 時間をわが物にするということはしっかりとした目的を持つことであり、その目的に向かって突き進むということは自立へ迫るということです。
 その目的ですが、残念なことに、居心地のよい家庭環境からは生まれにくいのです。家族愛に満ちあふれた、裕福な家庭に生まれた者は、その状況を最高のものと受け止め、それ以外のものを捜さなくなります。現状維持が最大の目的になってしまいます。
 しかし、現状維持を目的とは呼べません。なぜなら、そこに流れているのは家族全員のための時間であって、あなた個人の時間ではないからです。集団で共有する時間は、あなたの時間でないばかりか、あなたの自立を妨げる危険性を孕んでいます。
 家庭や家族を絶対視することは、国家に対する過剰な思い入れと同様、あなたをあなたでなくしてしまいます。そもそも家庭や家族は崩壊するのが当たり前で、それが健全な形なのです。けっして悲劇ではありません。崩壊しない家庭や家族のほうがむしろ悲惨と言えるでしょう。
 よくまとまった、絵に描いたような幸福な家族という幻想に振り回されるのは禁物です。そこにはとんでもない落とし穴が隠されているのです。崩壊を恐れるあまり、少しでもその状態を長引かせようとするあまり、理想の形が保てなくなったときにパニックに陥り、これまで家中に充満していた愛が、突如として憎悪に変わります。

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 最高裁は、私と裁判相手との関係を「一方的に解消してもいい関係」と判断しましたが、“崩壊させたくてもできず、同じ屋根の下で憎悪を増幅させているような関係”よりはずっとハッピーだったのかもしれません。私が裁判に負けたのは、私に個人の時間があり、自立していたからだったりして!
 そして、私が今、仕事上の現実的な目的を持ち、それに向かって邁進できずにさ迷っているのは、パートナーSさんとの関係が居心地がいいからかもしれません。


東京―京都、すれ違いの日々

 12月14日の夜、パートナーのSさんが京都に来た。先週末、互いの仕事の都合で私は京都、Sさんは東京だったから、私が5日の夜に東京の自宅を出て京都に来てから、9日ぶりの再会だ。

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Date: Wed, 14 Dec 2005 21:19:48 +0900

今のぞみ乗った
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 「一週間以上も会っていないわ」と話すと、私の同僚で声楽家のMさんは、「仕事がはかどっていいじゃない!ずっと一緒にいると、ちょっと黙ってほしい、って思うこと、よくある」と言った。彼女はドイツ人の音楽家とこの5月に結婚したばかり。日本に来たばかりの彼にはまだあまり仕事がなく、現在の主たる稼ぎ手はMさんである。
 音楽学担当のKさんは、同じく大学教授だったダンナさんがこの春早期退職して、1人で沖縄に移住してしまった。

 ここでは世間とは少し違う風が吹いている。
 

 先月友人にもらって研究室の机に飾ってあったボジョレー・ヌーボーを、Sさんと2人で飲んだ。体が暖まった。

ファイル 69-1.jpg

 一人で眠るときは電気毛布が欠かせないのに、2人で眠ると暖かい。省エネ!

 一緒にいれたのも束の間、昨日16日午後私は東京へ戻ってきた。音楽之友社での打ち合わせ、立教女学院短大でのシンポジウム、東京芸大での共同研究会、それから二週間ぶりのレッスン。Sさんはそのまま京都にいるし、まだ大学の仕事もたくさん残っているので、また18日の夜、私は京都に向かう予定だ。

 人はこういう生活を「すれ違い」であるとし、「中年の恋人同士というだけじゃないですか。共同生活とか、協力関係ではないですよ」と言う。

 こういう生活、互いの仕事にも愛情にも緩急が付いていいのだけどなぁ・・。

 昨年は「東京に戻る」「京都に行く」「京都に来た」と言っていたのに、最近、京都にいることが時間的に長くなり、「東京に戻る」「京都に戻る」と言っていることに気づいた。

 お正月はどっちにいようかな。
 風情を優先するのなら京都。
 冬のセールを優先するのなら東京!


原因不明の暴走が起こった

 12月未明から朝にかけて、サーバーにてレスポンスの低下があり、確認をしたところ、このノートブックのCGIが暴走をしていました。13日12時までこのサイトが全部、14日の2時までこのノートブックが見れない状態でした。
 原因はまだ不明ですが、これまでのCGIの削除と新しいヴァージョンへの更新をして、見れる状態しました。


名誉教授は給料が高い教授?

 きょうは一日自宅マンションにいて仕事をした。
 仕事の合間、林道義さんのホームページを見た。
 http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/
 林さんたちが母性本能を強調すればするほど、日本の女性たちはひいてしまうよ、と思った。
 厚生労働相の私的諮問機関「少子化社会を考える懇談会」の委員であり、文部科学省の審議会の座長・大日向雅美氏のことを“「母性研究のために」自分の子供が乳幼児のときに両親にあずけて、自分では子供を育てなかった人間である”と彼は批判している。

 専業主婦の出現以降の、しかも日本の歴史しか見ていないように思った。
 何歳までを“子ども”とみなしているのかな。
 あらゆるところで崩壊している現実をみて、「結婚」制度そのものがおかしいと感じたことはないのかな。
 大学安泰時代に名門女子大の教授をして定年を迎えた林さんには、男だけの稼ぎでは立ち行かなくなっている家庭が多くなっている日本の現状がわからないのではないかな。
 
 彼が勤めていた東京女子大では、子どものいる女性教授は子どもが小さい間は完全休業していたのだろうか。あるいは子どもがいない人ばかりなのだろうか。

 そんなに「名誉教授」の称号って大切かな。私の勤めている京都女子大では、勤続20年だか25年が名誉教授の条件なので、昨年移ってきた私など仮に定年まで勤めても名誉教授になれない。

 娘が小学生の頃、助教授(ジョキョウギュ)を女教授(ジョキョウギュ)と思っていたことがあった。
「おんなの教授じゃないんだ。わかったけど、一体誰を助けるの?」
「!?!?!?!?!?!?」
 ついこの間まで、名誉教授は“教授より給料が高い教授”と誤解していた。

 林さん、ギャルと付き合えば、少しは心が広くなると思います。


大沢真理さんの基調講演

 今週末は東京でのレッスンをお休みにして京都にいる。
 レッスンが休みの週末はたまった仕事を片付ける絶好のチャンスなのだが、東京大学教授の大沢真理さんの基調講演があるというのを聞いて、京都女子大学現代社会研究科修士課程完成記念シンポジウム「―新しい公共圏をめざして―男女共同参画社会のNEXT STAGE―」に行ってきた。

 300名以上の学生のうち、3分の1は熱心に聞いている。後の3分の1は静かに座っている。残りの3分の1はまったく聞いていない。これはいつもの授業でも同じ。
 聞く気がない学生たちは後ろのほうに座る。これも同じ。聞く気がない=居眠りしている、ではない。これも同じ。
 自分が授業をしているときはわからないが、きょうは最後尾の座席に座ったので、聞く気がない学生たちを目の当たりに観察することができた。
 携帯メールは序の口(私だって会議が長引いて来客を待たせているときなどに利用する。)。鏡を机の上に置いて化粧している(というよりも、のんびりと自分の顔を眺めている(笑))。髪の毛にカーラーを巻いている子が二人並んで座っている。教室後方のコンセントで携帯電話を充電している。隣同士ではなく、5人ほどのグループによる私語・・・。

 「近年、非正規雇用が増加している。特に若者と女性に顕著」と大沢さんが話したとき、「あんたらの問題なんよ」と、髪の毛にカーラーをして私語をしている学生たちについ言いたくなったが、私が雇用主だったら、非正規ではもちろん、たとえ無給でも彼女たちを採用しないだろうなと思った。

 偏差値によって学力はある程度均一化するはずなのに、同じ大学の学生の間でも意欲の格差は驚くほど大きい。