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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

オフタイムから始まるオンタイム

 20時45分頃、門衛さんに「まだいらっしゃるのですか」と言われて、慌てて大学の研究室を退去、スーパーに寄ってマンションに戻ってきました。うちの大学は、21時以降研究室にいることは原則としてできなくなっています。前にいた富山大学では24時間いることができたので、この健全なモードに慣れるのに随分時間がかかりました。今晩、パートナーのSさんは自分の研究室に泊り込んでいます。

 明日は11時30分に東山武田病院で腹部超音波の定期検査を受けるので、10時15分に起床する予定で、必要な睡眠時間を考えて、逆算して就寝時間を決めるつもりです。長い間建築事務所にいて、どれだけ夜が遅くなろうと朝のオンタイムは決められてきたSさんは、この逆算して寝る時間を決めるという私の生活パターンに慣れるのに時間がかかったようでした。

 たぶん門衛さんは、私は20時45分に仕事を終えたと思っているでしょう。でも、これからがオンです。

 最近、週刊新潮に「ワイドショーな人/本会議すっぽかし藤野真紀子がすっぽかした子育て」という記事が載っていましたね。立ち読みしました。結婚したときは専業主婦だったのに、子どもができてから料理に夢中になり、子どもを母親に預けたので、2人の娘にとって祖母が母だった」という内容でした。

 すっぽかし、育児放棄・・と人は言いたい放題だけど、没頭したい仕事と子育ては絶対に両立しないと私は思っています。

 他人には仕事をやり終えたと見えるその時刻から、ホントの仕事の時間が始まるのだから。仕事帰り、飲み屋で憂さを晴らすおっさんとは違いまっせ!


中食によって、多忙を乗り切る。

 特に先週以降、忙しさが増しています。
 10日は京都女子大のオープンキャンパス、11日~12日は授業、教授会、学科会議、ゼミわけ説明会、13日~14日は全日本音楽教育研究会(愛知)、15日は朝の10時から夜の21時まで10名ほどにピアノレッスン、16日は久しぶりにたっぷり寝て、午後から月末に沖縄で開かれる日本音楽教育学会でのプレゼンテーションの準備。6月から始めたドラムのレッスンも頑張らなきゃ。「22日の大学院入試の英語の問題を作成してください」と事務からメール。「東京芸大の共同研究の原稿締切は、10月31日ではなくて20日よ」と友人からメール。科学研究費補助金の学内締切は24日! 「科研(カケン)は書けん(カケン)」なんて言っていたのでは研究費はあたらへん。

 その合間を縫って、先週3つの検査を受けました。東山武田病院での乳房のマンモグラフィー・超音波・触診。大学に来た検診車による胃のレントゲン。そして、3ヶ月に一度の歯のクリーニング。
 親しい人たちが効き目があると薦めるものは、すぐに試します。
 発熱しても一日で平熱に戻すというカナちゃんが推薦する、ホメオパシー・ミネラルセット。気のせいか、アクティヴになります。

http://www.homoeopathy.co.jp/

 疲れ知らずの富山の中村先生が30年間愛用しているキョーレオピン。ファイブという高いほうが俄然効くそうです。

http://www.wakunaga.co.jp/product/tsukare.php

 検査やサプリよりもっと大切なものは食事。
 パートナーのSさんといるときは、大抵彼がつくる野菜たっぷり鍋か、野菜たっぷりカレー、豆腐と野菜のうま煮などを食べています。いつの間にか、“彼つくる人”、“私食べる人”になってしまいました。

 私が京都に一人でいるときは、昼はだいたい京都女子大の学食。とてもヘルシー。これで400円。

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 閉店間際の京都四条・大丸で、この2つのお弁当の合計が448円。そして、ほぼ毎日欠かさないチョコレート。
 専業主婦の位置を危うくした中食産業。私はそのおかげで、京都で一人でいるときも食べることに困らないです。

ファイル 45-2.jpg

 私だけが京都にいるときは、京都のマンションのキッチンはあまり使わないから、ほとんど汚れません。その間、東京の自宅のキッチンをSさんが使うので、東京に戻ると私はすぐにキッチンの掃除を始めます。男にしては精一杯きれいに使っていますが、私の視力は今でも2.0あるので、気になるのです。人には見えない汚れもばっちり見えてしまう(笑)・・。
 
 完璧な絶対音感のある人が日常生活で不便なことが多いように、視覚面などの感覚器官が鋭敏であることも幸せなこととは限らないです。ぼんやりとしか見えなかったら、私の心はどんなに平穏なことでしょう。 


パートタイム就労か、ピアノ教師をやるなら理想的?

 自由民主党の政策研修叢書「日本型福祉社会」(1979年)には、典型的なA氏のライフスタイルが書いてあるらしい。

http://www2.aasa.ac.jp/people/nyuu/siryou2.pdf

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 A氏夫人は35歳にして子育てが一段落して暇になって男性の場合の老後に近いライフステージに入る。この早すぎる老後に彼女が家庭外に出るとしても女性は組織の一員として組織の管理に関係するような役割を演じるのに向いていないから(!)パートタイム就労か、ピアノ教師でもするなら理想的である。A氏夫人が外出しやすくするためにも、親世代との同居ないし近居によって二つの家庭を合体ないし連結し、より安全性の高い家庭を作るよう工夫するのが賢明であろう。
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 1993年、2人目の子どもを産んだとき、私は大学院を出て2年目の35歳のピアノ教師だった。子どもの父とは合意の上で別居し、別経済。当時、親世代はそれぞれ静岡と大阪にいた。

 つまり、上の自由民主党の文章によれば、“安全性のすこぶる低い家庭”だったし、すでに私は女としては“早すぎる老後”の年齢になっていたということになる。

 http://www.partner-marriage.info/c4.html

 音大出身の妻が一週間のうち数日、あわせて10人程度の子どもにピアノを教えているとしよう。一人の月謝を1万円として月10万だ。夫が一杯稼いでくれて、生活の心配をすることなくその10万円で洋服だとかバッグだとかを買うのなら優雅だろうけど、世帯主の仕事だとしたらフリーターそのものだし、就業形態としては内職そのもの。

 何としても私は組織の管理に関係するような役割に就きたい!!!!!!!

 “早すぎる老後”の年齢の私が育児をしていたのではそれは不可能であると感じたので、これも合意の上で私は“義務としての”育児はしないという約束をした。(両立している女や、40歳過ぎてから始めたことで成功した女がいるよ、と幾つかの事例を挙げて私を批判する人たちは、その数万倍、仕事ができなくなってしまった女がいる事実には目をつぶって知らないふりをしているか、本当に知らないのだ!)
 39歳の春、地方の国立大学の助教授になった。
 そして昨春、今の大学の教授になった。


 でも、私は今でも週末はピアノ教師です。大好きな仕事なので、大学がどんなに忙しくなってもこの仕事は続けるつもりです。

http://www.ongakukyouiku.com/music-lab/index.html

 「パートタイム就労か、ピアノ教師でもするなら理想的である。」ということですが、現実はそんなに甘くありません。近所に生徒募集のチラシを撒いても反応はゼロに近い。新規の生徒のほとんどは口コミでしか入ってこないという情けない状態なんですよ。

 一般の人々は、音大のピアノ科を出てピアノを教えて食べれる人の少なさを知っているのかしら。投資と回収という点からすれば料理のほうがよほど儲かるし、うまくいけば「カリスマ主婦」になれると友人のピアノ教師たちがぼやいています(笑)。


大学人の二足のわらじ

 文化人類学者で東大教授の船曳建夫さんは仕事と家庭について『大学のエスノグラフィ』(有斐閣)という著書のなかで次のように書いています。長いですが、引用します。

 家庭は研究者の墓場か(p.187)

 研究に家庭は邪魔です。ましてや子育てなど、重荷です。これは結論が出ています。研究者は24時間働いていたいのが基本ですからそれらに差し障ることはみな不要です。それで言えば、家庭は研究者の墓場でしょうか。
 ・・・かつて私は書斎がなかったのと、靴を履いていないと頭がゆるんでものが考えられないため、一週間の内6日間大学に出てきていました。しかし、ある人が「いつ電話かけても大学にいるね、それだと使われちゃうよ」と忠告してくれた・・・・。それでも、大学に行くパターンを崩さなかったのは、自宅に書斎がなかったと、というインフラの問題もさることながら、家庭に帰ったら四人の子どもの育児、という問題があったためです。
 ビジネスや他の多くの仕事をする人にとって家庭は心の安らぎの場であったり、子どもがあとを継ぐことで自分自身の仕事が強化されたり、とよい面があります。それに対して宗教と学問(芸術もかなりの点で)、その本質上、世俗の快楽や家庭から遠いのですね。手短に言えば、研究は高度の集中力と持続力を必要とし、その核心部分には孤独な作業が来る。「家庭生活」や世俗のつきあいはじゃまになる。
 そしてこれらの仕事は家庭の中で子に継がすようなものではない。書斎を渡せば子が学者になれるわけではないし、絵筆を父から受け継げば画家になれるようなものではない。親から才能を受け継いで親のように学者や芸術家になっている人もいますが、それは宗教や学問といった仕事の、本来の性格から来ているのではないのです。
 ・・・フェルマーの定理に解答を与えたケンブリッジの数学者は既婚者でしたが、その問題を考えている七年間、家庭のこと以外すべてを忘れて没頭した、との発言が伝えられていました。それに対して、彼を知る日本の数学者が、彼に限ってそんなことはない、家庭だって忘れていたに決まっている、と発言していまいしたが、研究者にとっての家庭の問題を言い当てています。
 それでも、・・・研究者が家庭を持つのは、人は研究のみにて生きるにあらずと思うからでしょうし、結婚するときにはどうにか両立できるよと高をくくってしまうからです。そして、この問題、結婚だけでしたら、夫婦そろっておしどり学者で、すこぶる生産性が高くなる場合がありますから、問題は子ども、育児です。
 ・・・実はこの問題は、ジェンダーの問題なのです。かつて研究者といえば男性であることがふつうであったときには、男性が独身を続けることで、時には家庭を持たぬゲイの関係によって性愛の世界と両立させつつ解決していたのですが、現在は女性研究者の問題、またどちらが研究者であれ、家庭での男(夫)・女(妻)のジェンダーの問題なのです。
 ・・・研究と家庭の二足のわらじは、大学が男女の世界になるにつれ、既婚者において複雑さと深刻さを増しつつ、他方で、結婚しない、子を作らない選択が、かつての男性のみの大学世界でもそうであったと同じように拡がると見えます。いまは大学のみならず、「家庭」も大きく変容しつつあり、その2つのあいだの新たな二足のわらじとして問題が変容してきています。

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 私は2001年9月に今のパートナーSさんと知り合いました。
 「パートナー婚解消訴訟」の相手と破局して4ヵ月後のことです。16年の関係が突然終わって打ちひしがれていた私にとって、神様が与えてくれた人なんです。ありがたい!!という気持ちは4年経った今も変わっていません。

 私は自分が産んだ子ども2人とは同居していないので、Sさんとおしどり学者で、すこぶる生産性が高いということになります。それに、私の研究分野は、船曳さんの学問分野のような東大・京大を頂点とするヒエラルキーからは外れた、所詮「ウンパッパッ」←(これ、子どものリズム打ちで、ウンが四分休符、パッが四分音符デス)の世界です。それでも、昨日15時間も格闘したのに、たった5枚の論文が仕上がらないどころか、満足のいく構成さえできませんでした。さらに別の9枚もあるんです。
 そんなわけで、8月15日までにやるはずだった水野紀子さんのパートナー婚解消訴訟の解説 (「平成16年度重要判例解説」(ジュリスト臨時増刊(第1291号)6月10日号、有斐閣)に対する感想はちょっと延期することにします。

 長男を産む際に裁判相手の取り交わした「私は産むのみ。義務としては育てない」という内容の公正証書。
水野さんが公序良俗に反する可能性があると指摘したものですが、34歳でやっと修士を出た私は、産むだけならば自分の研究生活は崩れないと思ったのです。

http://www.partner-marriage.info/c9.html

 その計算に狂いはありませんでした。昨日も三食ともSさんに作ってもらったのに、たった5枚の論文が書けないのですから・・・。
 
 船曳さんの著書によれば、奥さんに秘書をさせている男性研究者も大勢いるらしいですね。
 子育てのシャドウワークを全部妻にやらせて、子どもの発達についての研究を男性研究者がいます。
 私だって、あんな公正証書を取り交わさず、シャドウワークをすべてやってもらって、自分の子どもたちに音楽レッスンだけをしたかったなぁ。


見通しがまったく甘すぎる・・8/13一部修正

8/13一部修正 

「子育て世代の意識と生活」と題する2005年版国民生活白書が出た。
 いつもの通り、ありきたりの提言が書いてある。

(1)所得格差を固定化させないような雇用体系の構築
(2)安価で多様な子育て支援サービスの拡充
(3)民間非営利団体(NPO)を中心にした地域による子育て支援体制の整備

 現在の保育関連の雇用環境を見ていると、“安価で多様な子育て支援サービス”、“民間非営利団体(NPO)を中心にした地域による子育て支援”の拡充は、非正規労働の女性を増やすだけだと思う。そうしたサービスを提供するのは、おそらく結婚前のパート女性、パート・アルバイト同士の夫婦の妻、正社員を夫に持つパート妻がほとんどだろうから。

 (2)(3)と(1)は少なくとも女性に関しては絶対に両立しない。

  また、子供1人の養育費(計22年間)は約1300万円とあるが、森永卓郎さんの著書『〈非婚〉のすすめ』(講談社現代新書)の中に次のような記述がある。

・私立幼稚園、公立小中学校、公立高校、私立文系大学に進学した場合の総教育費は1447万円。これには学校教育費、補習教育費、習い事、小遣い、交通費、サークル等の参加費といった広義の教育費だけが対象となっている。(三和銀行の「子供の教育費に関する調査」(96年4月))
・これらに食費等の生活費が加えられ、約2000万。(93年「厚生白書」)
・出産・育児費用や衣料費、理美容費、パーソナル所有品代にまで広げると、総コストは2933万。(AIUの現代子育て経済考(93年))
・これでも推計から漏れているコストは、家賃と結婚費用である。子供部屋を6畳一間としても22年間のその家賃は760万、結婚費用のうち親からの援助と結納金の合計は384万、一人分としてその半額の192万。これらを合わせると3885万。
・さらに、子育てにかかる人件費コストがある。子供一人あたり投入している時間を計算し、その時間に年齢別の時間当たり賃金を乗じて人件費コストを算出すると、3996万。直接経費に人件費コストを加えた総コストは、7881万。

 これらの統計は10年前のものだし、どの程度の信憑性をもつかわからないけれど、1300万円ではないのは明らかである。
 こんなにお金がかかったうえに、多くの女性が出産・子育てで定職を失い、母性が大切だとか、三歳児神話だとか言われ、不良になれば育て方が悪いと言われたんじゃ、たまったものじゃない。日本の女性たちはまだまだおとなしいのか。何の根拠もなくどうにかなると思っているのか。楽観も度を越すとただの無知だと思う。

 子育てにかかる費用の統計結果を見て多くの人が呆然とするに違いない。でも、京都のお嬢様大学に勤務する傍ら、東京の富裕層の子どもたちにピアノを教えている私は、富裕層の教育費と生活費は上記の算出額では留まらないと思う。もっともっと多いはず。他人の芝生は青いのかな。彼らは子育てを楽しんでいるし、心にも余裕があるように見える。所得格差、資産格差は広がる一方だ。

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子育て負担の軽減を=費用、時間とも余裕なく-05年版国民生活白書

 竹中平蔵経済財政担当相は12日の閣議に、「子育て世代の意識と生活」と題する2005年版国民生活白書を提出した。少子化の背景として、結婚や子育てへの心理的・経済的な負担感が高まっていることを指摘。子育て世代の負担を軽減するには、雇用の多様化や子育て支援サービスの拡充など総合的な対策が必要だと訴えている。 
 結婚や子育ては01年版白書(家族の暮らしと構造改革)でも取り上げられたテーマ。05年版は、将来結婚する若者から大学生の子を持つ親の世代に当たる20代から40代を「子育て世代」と定義し、結婚や子育ての回避・先送りの背景にある「負担感」の実態分析を試みた。
 国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査など複数の意識調査を用い、子育てに消極的な最大の理由は「経済的負担の重さ」と分析。総務省の家計調査を基に内閣府が独自に算出したところ、子供1人の養育費(計22年間)は約1300万円に上った。
 しかし、若年層ではパート・アルバイト同士の夫婦が増加。共働きでも世帯年収が240万円程度しかなく、所得面では明らかに子供を養う余裕がない。所得に余裕のある正社員の共働き夫婦でも、長時間労働の常態化による「時間貧乏」を理由に、子育ての困難な状態が進んでいる可能性が示された。
 このため白書は、少子化対策として(1)所得格差を固定化させないような雇用体系の構築(2)安価で多様な子育て支援サービスの拡充(3)民間非営利団体(NPO)を中心にした地域による子育て支援体制の整備-などを進めるよう提言している。(了)
(時事通信) - 8月12日11時1分更新


正規労働者とパート・天下分け目の闘い

 7月の下旬から京都女子大の児童学科2年生、3年生約250名の実習先保育園を教員11名で分担して廻っている。
 連日の猛暑のなか、かなりの重労働である。
7月29日 兵庫・淡路島1園、8月1日 奈良3園、8月2日 京都1、大阪1園、8月3日 奈良1園、8月6日 京都1園、8月8日 兵庫2園、8月9日 愛媛1園

 教官が学生の実習先を訪問することを巡回指導という。だが実際は挨拶回りに等しい。前任校では小学校・中学校担当だったが、ほとんどやったことがなかった仕事だ。

 公立園の園長は、たいてい働くことに対する意識の高い年輩の女性たちだ。だが、保育士のなかにはパートの人も多い。正規職員とパートとの待遇の格差の問題が、企業と同じように存在している。
 私立では出産したら解雇というところはまだとても多いし、短いサイクルで次々若い人に来てほしいので美人しか採用しないという噂の園もある。「美人のほうが早く結婚するからという理由みたいですよ」と学生が言っていた。結構笑える。

 一昨日訪ねた保育園の男性副園長は、「うちは4大卒は採る予定はないです。短大卒より多く給料を払わなければなりませんし。同い年で2年余分に大学にいたのと、2年実務経験があるのとでは大違いですし」

 2年余分か!

 ムダかなと思ったが、「出産しても続けられますか」と聞いてみた。
 「やめてもらわないと困ります。一年多くいるとそれだけ給料を多く払わなければならないですし。正規職員で年配の保育士を雇う余裕があるのは赤字でもなんとかなる公立だけです」
 「熱があると電話をして迎えにきてもらっています。お母さんは子どものために働いているですから。迎えにくるのはおばあさんでもお姉さんでもいいのですけど」

 子どものために働く、か。自分のために働くというのではアカンのかな。

 この男性が特別男尊女卑というわけではない。大抵の男性の「女性の労働観」はこんなものだろう。

 私立は経営を第一に考える。それも仕方がない。以前私が勤めていた旧国立大学の富山大学では、一学年学部学生183名に対して常勤教員数89名だった。京都女子大の児童学科は、一学年学部学生130名に対して常勤教員数11名である。独法化後、旧国立がそんなに多くの教員を抱えていてやっていけるわけはない、と多くの人が言う。

 築4年のきれいな建物のこの保育園には若い男性の保育士がいた。
 「彼は正規職員なんですか」
 「今年アルバイトで採用した人です。様子をみて正規職員にするかどうかを決めようと思っています。男性の場合は、30才までに主任になれなければ、自然にやめていきます。」

 かつては女だけの職場だったのに、ここにもすでに‘新たな’男性優位がある。

 次に訪ねた保育園は公立で建物も古くて、ほとんどの部屋に冷房もなかった。
 「最近ほとんど採っていなかったのですが、今年は町で2名、保育士・幼稚園教諭を正規採用する予定です」
 「4大でいいのですか」
 「4大が不利ということはまったくありません。町の職員も国公立大の人がほとんどですし」
 公立園でも次第にパートしかとらなくなっている昨今、正規職員は狭き門だ。

 この二つの園を比べたら、若い女性は前者のきれいな保育園のほうがいいと思うのではないかな。でも、絶対に気づいてほしい。公務員には着服などの不祥事が続いているし、公務員だって今後どうなるかわからないけれど、社会が不透明になり、雇用が増えるといってもパートばかりが増えるなかで、まず若い女性たちにはとにかく正規の職員を目指して欲しい。そして、いったん手に入れたそのポジションを簡単には手放さないこと!!

 私が若い頃、こんなことを考えたこともなかった。教えてくれる人もいなかった。
 教員免許さえ取る気がない学生たちに対して、「君たちは演奏や絵で食べていきたいと思っているようだが、君たちが出世して東京芸大の教授になるときに教員免許を持っていることが有利になる。附属高校があるから、そこでも教えられる人を優先する」とか教務課長が言って、手を変え品を変え免許取得を薦めていた。それでも当時免許を取得した芸大生は3分の1ほどだったように記憶している。みんなどこか手堅い道なんてバカにしていた。

 保育園に少しいるだけで、保育園で働く保育士の女性、保育園に子どもを預ける女性の実情がみえてくる。近い将来、非正規労働者の女性が子どもを保育園に預けて働き、非正規労働者の女性保育士がその子どもの世話をするという図になるのではないかと思う。これが政府や一部の識者が進める男女共同参画の姿なのだろうか。

 今年京都市は20名の保育士を採用する。近年にない大量募集である。チャンス!


全員、変わり者?

 私は自宅がある東京と、勤務校(京都女子大)がある京都との往復生活をしています。多くの方々が「大変でしょう。」と口を揃えて言います。ここ数日だけでも何人もの人に言われました。

 でも、前任校(富山大学)に勤めていた時期も含めて、こうした生活を10年もやっていると身体が慣れてきます。一週間に一往復するだけですから、毎日通勤1時間半の人よりラクだと思います。

 東京を始発の“のぞみ”に乗って出ると、一時間目の講義に間に合います。大学が京都駅から至近の距離にあるおかげです。
 反対に、最終の“のぞみ”で出ても、その日のうちに四条河原町のマンションまで徒歩でたどり着けます。

 また、京都駅前のバスターミナルを23時に出るレディーズドリーム京都号に乗れば、朝6時40分に東京駅に着き、大手町から地下鉄に乗れば12分で早稲田。駅前のシャノアールでモーニングを食べて自宅に戻ってもまだ7時台です。


 京都発、上りの東海道新幹線のダイヤです。山の手線並みでしょ。

ファイル 26-1.jpg 東京・京都間の2時間20分は、一仕事にも一眠りにもちょうどよい時間ですよ!

 「洋服はどうしてるの? 」「本はどちらに置いてあるの?」多くの方々が私に尋ねます。こうした生活をすると無駄や混乱が多くなるのが普通なんですが、おそらくそれを解説すると一冊の本になってしまうぐらい、私には秘密のコツがあります(笑)。

 昨春、京都女子大の教育系に採用された私を含む女性教員3名全員がこうした遠隔生活をしています。世間ではどの程度いるんでしょう。1%だと「まったく了解不能の存在」、3%だと「変わり者扱い」、8%になると身近な話題という感覚が抱かれるらしいですね。

 今年の夏、東京での仕事は全部夏休みにして、お盆明けまでずっと京都にいることにしました。避暑という意味では最悪ですけど・・・。


大学教授はとても女に向いた職業なのに

 昨日、次のような記事が出ていた。9年前富山大学の助教授に決まって最初の教授会で紹介されたとき、団体保険の説明に来た生保のセールスレディと間違えられたことを思い出した。
 研究の継続を困難にさせるものは「出産」や「育児」。いつの間にか「結婚」は消えたのだな・・。一昔前は、女は男(夫)の世話をしなければならないことも足枷だったはず。


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 研究者の女性比率11%、欧米下回る・男女共同参画白書

 政府は27日の閣議で、2005年版「男女共同参画白書」を決定した。大学や研究所に在籍する研究者に占める女性の割合は11.6%で、欧米主要国の20―30%に比べて低いと指摘。出産や育児などで研究の継続が難しいことや受け入れ態勢の未整備などを理由にあげ、育児支援策の強化などによる労働環境改善の必要性を強調している。
 白書によると、人文・社会科学などを含む女性研究者の割合は米国が32.5%、フランス27.5%、英国26%。日本は増加傾向にあるものの、欧米の主要国を依然として大きく下回っている。特に理工学や農学など自然科学系の分野では女性教授の割合が少なく、工学の場合は1.2%にとどまっている。このため白書は女子学生の理科系離れに歯止めを掛けることも提唱した。
[2005年5月27日/日本経済新聞 夕刊]


年収350万で優雅な生活?

 女子大生の間で、専業主婦願望が高まっているという記事が日経新聞に出ていた。専業主婦になりたいと言っている慶応、早稲田、学習院の女子大生のコメントが紹介されていたことを私のゼミ生に話すと、「早慶まで行ってるのに考えられへん。勉強しすぎて社会に出る前に疲れてるんやわ。」と怪訝そうな顔をした。
 ラクなほうを選びたいという気持ちはわかるけれど、「学習院大を卒業し現在、銀行に勤めるB子さん(24)は、3年ぐらいで辞めて専業主婦になりたいと考える一人。目下、年収700万以上の男性が参加するお見合いパーティーなどに顔を出し、経済的に安定した結婚相手を探している。」には驚いた。2人で700万、÷2で1人350万。「年収300万円時代を生き抜く法」っていう本は、貧乏でも楽しさを見出そうというコンセプトだったはず。子どもができると、÷3、÷4とさらに分母が大きくなるのに。

 東京でしかも賃貸住宅やと、優雅に趣味なんか楽しめるわけがあらへん。幻想やわ。

 きょう、講義のあと、3年生が私に声をかけてきた。「女を優遇する企業はどうやって調べるのでしょうか。子どもを産んだらやめなきゃならないなんて、やってられへん。」

 京女(きょうおんな)はたくましい。仕事への意欲は、勉強の偏差値とは比例しないようだ。早慶を出て3年ぐらいで仕事をやめるのなら、もっと学力は低くてもやる気のある人に、そのポスト譲ってあげたほうがいい。

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        記事全文
 女子大生中心に強まる専業主婦願望――優雅に趣味楽しみたい、仕事と家庭の両立難しく

 女子大生を中心に、若い女性の間で専業主婦を夢見る人がじわりと増えている。あこがれは料理や掃除など家事をこなしつつ、お花など趣味も楽しむちょっぴりゆとりある生活。「くたくたになるまで働き、趣味も持てない」キャリアウーマン的生き方はしたくない。バランスのとれた働き方が難しい今の社会が、彼女たちをそんな気分にさせるのか。

 「最近、受講生にアンケートをとったら、半分は専業主婦希望だった」。都内の私立女子大でジェンダー論を教える教授の話だ。「以前は社会に出る意欲を持ってもらうため『多様な生き方がある』と示せばよかったが、最近は『リストラ懸念もあり、夫だってどうなるか分からないのだから』と直球でアドバイスしないといけない」と学生気質の変化を明かす。
 慶応大4年のA子さん(23)が思い描くのは「卒業後すぐに結婚し25歳ぐらいで出産。料理を作って夫の帰りを待ち、フラワーアレンジメントなども楽しむ」生活。
 すでに大手企業から内定をもらったが、子どもができたら辞めるつもりだ。そのわけは「キャリアウーマンは趣味の時間が持てず、本当に豊かな生活は送れなさそうだから」。最近、頻発する少年犯罪のニュースをみるにつけ、なるべく子どものそばにいたいという思いも募る。「自分にとっての自己実現は仕事よりも子育て」とA子さんは言う。
 昨年、学習院大を卒業し現在、銀行に勤めるB子さん(24)も、3年ぐらいで辞めて専業主婦になりたいと考える一人。目下、年収700万以上の男性が参加するお見合いパーティーなどに顔を出し、経済的に安定した結婚相手を探している。「(若さの)価値が残っている今のうちに頑張っておきたい」
 
 こんなデータがある。内閣府が2004年秋に実施した調査だ。年齢別に「女性が職業をもつことについて」の考えを聞いたところ、20代女性は「ずっと続ける方がよい」が44.9%と最も多かった一方で、「子どもができるまで」、「結婚するまで」と答えた人もそれぞれ10.7%、6.7%と70歳以上を除く他の年齢層より高かった。
 データから読み取れるのは、高まるキャリア志向の一方で、専業主婦志向も台頭しているという二極化だ。家族社会学が専門の山田昌弘東京学芸大教授は「ここ5、6年で従来、キャリアを目指す女子学生が多かった大学でも専業主婦願望が強まり始めた」とみている。
 雇用の流動化やなお続くリストラ懸念などから、夫の収入だけに頼るのはリスクが高まっているいま、なぜなのか――。「労働時間が長くなりバリバリ仕事をするのは大変なうえ報われない、というイメージが強まっているのが一因」と山田教授は考える。「今の若い世代は『ラク』がキーワード。社会に出て活躍することにさほど希望が持てない追い込まれた状況下で、専業主婦に夢を見いだしているのでは」というわけだ。
 女子大生側の心理の変化だけではない。専業主婦に対するイメージの変化もあるらしい。
 「最近の女子大生の母親世代の中には、自分の趣味や海外旅行などを楽しんでいる専業主婦も少なくない。おまけに雑誌を開けば、高級住宅地に住み、昼はレストランでランチを楽しむセレブ主婦を目の当たりにさせられる時代。“ガラスの天井”がある社会の現実より、専業主婦の方がずっと楽しく映るのだろう」。立正大の宮城まり子助教授(心理学)はそう分析する。
 「自己犠牲」や「所帯やつれ」といったネガティブな専業主婦像は、最近の女子大生の間ではめっきり薄れている。

 働き続けるうちに、気が付けば「30代以上、未婚、子なし」の状態に。こんな「昨今の『負け犬』論争が追い打ちをかけた」と精神科医の香山リカさんは指摘する。実際、先のA子さんやB子さんも「負け犬」という言葉がメディアをにぎわすようになってから一層、「早く結婚し、家庭に入るのが幸せでは、と考えるようになった」と打ち明ける。
だが、現実は甘くはない。社会からの疎外感から行き場をなくし、精神科クリニックの扉をたたく40代の専業主婦が目立つからだ。
 男女平等の教育を受けてきたのに、家庭では嫁としての役割も求められる。子育てが一段落し、仕事をしたいと思っても限られた職しかない。夫にも不満がたまるが、一人で暮らす自信もない。そんな葛藤(かっとう)を抱える専業主婦はごまんといる。
 「楽に見えるからと専業主婦を選び、後でひずみが出る人もいるのでは」と香山さんは若い女性の専業主婦願望に警鐘を鳴らす。
 バランスのとれた働き方でキャリアを積むのが難しい状況は社会にとってもマイナス面が大きそうだ。
 早稲田大3年のC子さん(20)は大学院に進むつもりだが、「自分には両立は難しそう」という理由で「結婚したら専業主婦になりたい」という。
 宮城助教授は「環境が整わないために能力のある女性が社会に出ないのはもったいない話。働き方の見直しとともに、中学、高校から女性としてのキャリアプランについて考える機会も作るべきだ」と指摘した。
[日本経済新聞 2005年5月10日]


スーパーなファミリー

 高校時代の親友Mさんと1年ぶりに食事をした。

 Mさんは今京都のS病院の眼科部長。彼女は留学先のボストンから帰国して、6年ほど前まで佐賀の病院に勤めていた。「九州はホントに男尊女卑。「女なんて頼りない。男の医者に替わって」とよく言われたけど、京都では、女だからどうのこうのと言われなくなって仕事がしやすくなったわ。」「でもね、東京に出張に行くと、女医であることをウリにしている医院の広告をよく見かける。東京では女であるほうが得になってきているよね。京都は中間っていう感じ。」

 そういえば、私が通っているT病院の産婦人科など、女の先生たちは軒並み1時間30分待ちで、男の先生たちの診察室は閑古鳥が鳴いている。「女の先生たちは予約でいっぱいです。お待ちいただけないのなら、男の先生にしてください」と受付の人が患者さんたちに言っている。

 Mさんは京大医学部を出ていて、夫は京大医学部の一学年先輩である。息子と娘は東大の理1と文3の学生である。

 彼女が医局に入った頃、女性は外科には入れなかったという。「私たちの頃は男女機会均等法の前だからね。息子と娘を比べると、女の子のほうがより自由に仕事も選べるし、人生も楽しめるようになっていると感じている。」

 なぜマスコミはこのスーパーなファミリーを取材しないのだろう。