11月24日
昨日、京都大和の家の子どもたちのピアノ発表会がありました。ここは、京セラの稲盛和夫さんが私財7億円投じて作った児童擁護施設です。
今年の春から私のゼミ生3人がレッスンボランティアとして週末ごとに施設を訪ね、半年間レッスンしてきました。大手音楽教室のピアノ教師、街のピアノ教師ではない人がボランティアとしてレッスンするという、全国でも大変珍しい試みです。
演奏したのは15人の子どもたち。全員最後まで弾き切りました。演奏が終わったときのホッとした顔。ちょっと勝ち誇ったような顔。途中何度か止まってしまったせいか、ちょっと悔しそうな顔。手のひらに何度も「人」という字を書いている子もいました。でも、一番ドキドキしたのは、レッスンをしてきたゼミ生3人だったかもしれません。
ピアノレッスンボランティア活動を始めるにあたって、当初児童館でやりたいと思っていました。しかし、児童館には壁がありました。ある児童館には、ピアノ演奏は特別な技能なので「ピアノ遊び」という枠組みでなければ難しいと言われました。別の児童館には、児童館に通う保護者にもピアノの先生がいて(その先生と競合するので)難しいかも、と言われました。私が声をかける児童館は京都でもピカ一の協力をしてくれる所なのですが、こればっかりはダメでした。
そんな折、京都大和の家の西川満さんと出会い、10分話しただけでOKをもらいました。(最近、話がまとまる時はわずかな時間で決まることが多いです。)
京都大和の家のピアノ発表会では、自分が弾きたい曲を演奏すること、その子が演奏できるレベルにアレンジしてあげることなど、私が自分が主宰する東京の音楽教室(深見友紀子ミュージック・ラボ)の原則が全部実現できていました。「ピアノ遊び」ではなく「ピアノレッスン」ができたことが何よりもうれしかった。ゼミ生3人、とてもよく頑張ったと思います。
私はピアノ教師たちにこういった活動を求めてはいません。これは私のような定収入のある大学教員や、学ぶことが本業である学生の役割でいいと思います。ピアノ教師はもっと自分の専門性を伸ばし、しかるべき報酬をもらうべき。しかも、これまでの「お月謝」「御礼」といったものではなく、時間単価幾らといった他の専門職によくあるような基準報酬額を設定していくべきだと思います。
あるピアノ教師が40人の生徒にピアノを教えているとして、1人30分レッスン、時給5000円としたら、週10万、月40万、ボーナスもないから年収500万に届かないのです。高い授業料を払って音楽大学を卒業したのに、レッスンの基本がマンツーマンであるゆえの不況、特に「資格」が要らないゆえの不況と諦めるしかないのでしょうか。一生懸命やれば、40人の生徒を管理するのは大変な仕事なのに・・。なんとか改善したいのですが、突破口がありません。意外と一緒に考えてくれる人がいないのです。
その一方で、安いレッスン料でも習えない子どもたちが大勢いる。しかし、この子どもたちの「ピアノを弾きたい」という願いを叶えることは、ピアノ教師にタダ働き同様の労働を強いることになってしまうのです。
複雑な気持ちを抱えつつ、京都大和の家の子どもたちへのピアノボランティアが実現しました。ゼミ生たちはピアノ指導経験がないことを不安に思っていたようですが、そうしたマイナス面を上回るぐらい、子どもたちそれぞれに寄り添う気持ちやレッスンを工夫したいという熱意があったと思います。
演奏した後、パッヘルベルのカノンの連弾をBGMに子どもたち1人ずつを紹介しました。多くの観客が涙ぐんでいました。いい発表会でした。来年も続けていきたいです。