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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

最高裁裁判の原告には似合わないピンクのイメージ

 昨日は卒業式と謝恩会でした。毎年、卒業生と自分との年齢差が大きくなり、今年は27歳です!
 花束やプレゼントや色紙、寄せ書きノートなどをもらいました。
 
 私を直接知らない人は、私のことをたぶん「恐い女」なんだろうと思うでしょう。男女に関する唯一の重要判例(平成16年度)だった「パートナー婚解消訴訟」の原告なのだから!
 でも、学生たちにとって私のイメージはピンク!フェミニストとはフェミニンと同義かもしれません。
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 ゼミ生のうち、この一年たくさん話をした1人が次のように書いてくれました。
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 先生はとってもきれいで若々しくて
 でも、話し出すと止まらないマシンガンtalk
 王将にも1人で行くというその男らしさの一面
 エレクトーンを弾き出すと、先生自身が楽器かと思うほど
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 その多くの面のうちのひとつに、男女の役割分担に抗議する私や(これは一般的に受け入れられつつあります)、「育児は女の役割」という前提を基本的には崩さず、仕事と育児の両方を頑張り続けるウーマンたちを賞賛する社会に異議を唱える私がいます。(これは現在まだ異端でしょう。) 
 たとえ今賞賛を浴びても、20年後に体がボロボロになったとき、この国は決して助けてはくれないと思います。

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前任者である作曲家、野村誠さんと、同僚である彫刻家、土田隆生先生


不眠症という弱点

 仕事が詰まってくると、睡眠時間は4時間ちょっとになってしまうことが多い。特にパートナーのSさんと一緒にいない日は、「はやく寝よう」と言ってくれる人がいないので、より少なくなりがちだ。
 昨日、児童学科のT先生が、「私は夜9時には寝てるよ。63年のこれまでの人生、睡眠時間が長いために何年分も損をしているかも」と言っていたかと思うと、ヤマハのKさんは「僕は毎日3時間しか寝ない」と話した。
 睡眠時間と健康、どういう関係になっているのだろう。
 私の体力は周りではかなり有名なのだが、実は私には不眠症という弱点がある。公立中学校に進学するとき、組分け試験の前日に一睡もできずに悶々としたのが不眠症との付き合いの始まり。選抜試験ではなく、40名ずつの6クラスに分けるだけの試験だったのに、眠れなかったのだ。それ以来ずっと不眠症である。
 一睡もしなかった12歳の私は、調子を出せずに240名中6番の成績。結局、上位の人から順番に入れていくので、私は1年6組だった。
 この不眠症、私には育児は無理だと感じた最も大きな理由だ。電話のコール音で起こされたら最後、もう続きの眠りは無理。24時間起き続けるほうが私にとってずっと簡単なのだ。
 きょう、ヤマハの支援によって「エレクトーンとパソコンを使った音楽講座」を藤森神社参集殿(京都市伏見区)で開く。寝たほうがいいに決まっている。でも、何か新しいことをする日の前夜は、だんだんと目が冴えてくるのだ。


留守はセコムにお任せします

 昨日、財団法人ヤマハ音楽振興会、音楽研究所主催のシンポジウム「音楽と人とテクノロジー」に参加するため、日帰りで東京へ。有楽町の東京国際フォーラムでのシンポジウムの後、神保町の歯科医S先生の治療を受けて、結局早稲田の自宅には寄らずにそのまま京都に戻ってきました。
 最近京都にいる時間が長くなり、どちらかというと「京都に戻る」という感覚になっていますが、東京にいるのに我が家に寄らなかった・・・これは初めてです。今回は、我が家一階の水道パイプからの水漏れという、とても気になることがあったのにもかかわらず。

 前々日、私の代わりにレッスンしてくれたEさんが水漏れに気づきました。
 前日、レッスンに来たAさんから、「水が床に広がるとコンピュータが危ないかも」と電話があったので、私は「水曜日の夜、Sさんが自宅に戻るので、それまでの間何度か入って点検してもらえませんか」とセコムに頼み、対応してもらいました。
 一般的には、セコム=防犯というイメージでしょう。でも、私にとって一番ありがたいのは、細かな対応をしてもらえることです。台風の後、雨水を貯める地下の水槽の水位を見てもらったこともあるし、エアコンのつけっぱなしが気になったときにも入って確認してもらいました。
 昔なら、万一に備えて隣の家の人にカギを渡しておいたりしたのでしょう。そうした状態をユートピアだとする人たちは、地域の力がなくなったと嘆くのでしょうが、新たな地域の力が生まれていると捉えることはできないでしょうか。素人のもたれ合いではなく、地域にさまざまなプロフェッショナルがいる・・いいことだと思います。

 さっき、昨日の朝まで一緒に京都にいたパートナーのSさんからメールがありました。
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少し調整したら、水漏れなくなった。断水で配管の中が乾燥して隙間ができたのかな?
これから長い間空けるときは下の蛇口を閉めて出たほうがいいと思う。
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 パートナーが建築家でよかったです。
 留守はセコムとSさんに任せて、私は明後日の講座「音楽であそぼう」(京都伏見区・藤森神社)の準備です。


ヤフーオークション、現在進行形

 私の生徒のママに趣味で始めたカバン作りで起業しようとしている人がいます。彼女の作ったバッグは、某国立大学附属小学校に子どもを通わせているママの間で人気となり、さらに口コミで広がっています。
 私もこれまでに3点ほどプレゼントしてもらいました。リボンがかわいいし、とても丈夫なので中に一杯詰め込んでもびくともしません。
 そのママから「ヤフーオークションにカバンを出店したので見てください。」とメールが来ました。
 名称は「お受験バッグ」! 
 このバッグ、あまり若い子やラフな格好の人には似合わないし、そういう人たちはこのバッグをいいとはまったく思わないみたいだったのですが、「お受験バッグ」だったからですね。なるほど!
 あっという間に価格がせり上がり、高値で落札されたそうです。
 ヤフーオークションとはしばらく縁がなかった私は、これをきっかけに、ユーキャンの保育士養成講座のテキスト、ビデオ、CDのセットを買おうと、現在オークションに参加しています。
 仕事上どうしても必要で、持っている人を探したのですが、いない・・・。保育士の免許が取れる児童学科の学生に通信講座を受けている人なんて、いるわけないですよね。
 それで仕方なく、昨日、「通信講座は受けなくていいから、教材だけ同じ値段で売ってもらえますか」とユーキャンに言ってみました。大学に備品として置いておけば、学生たちにも役立つと思ったからです。
 しかし、あっさり断わられたたため、ヤフーオークションへ・・。
 2月15日22時20分に1円で始まったオークション、私が1,009円を付けた後で、すぐに1,109円を付けられ、その後私が1,334円を付けています。
 テキスト、ビデオ、CD付きの通信講座の値段が47,000円。私が見たいのは、保育実習のテキストと音楽実技試験対策用CDの解説書だけ。 
 昨晩ちょっと時間があったので始めたこの入札劇、いったいどうなりますことやら!

 <テキスト>1.社会福祉 2.児童福祉 3..児童心理学 4.精神保健 5.保健衛生学 6.生理学 7.看護学 8.栄養学 9.保育原理 10.教育原理 11.保育実習 <CD>バイエル模範演奏、コールユーブンゲン模範歌唱、コールユーブンゲンピアノ伴奏 <ビデオ>言語実技試験のポイント、絵画制作試験のポイント <その他>学習の手びき、用語・法令集、音楽実技試験対策用CDの解説書

現時点で下記商品に最高金額を入札しています。

1. 入札情報
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
商品:1円~ ユーキャン◆保育士講座◆U-CAN・・①
希望数量:1
商品単価:1,334 円
終了日時:2月 22日 21時 20分


私の一週間

 少し加筆修正しました。(2月1日)

 毎日、ブログを更新している人たちが多くいます。私など毎日はとても無理だし、それぞれのなかに家族や女性の労働、ジェンダーの話題を入れようと思っているので、余計難しいです。21日のセンター入試以降、あまり更新できなかったのは風邪をひいたわけでもなく、ただ単に時間がなかったんです。

23日月曜日
 学生の保育園実習の事後指導他、諸々の事務仕事をした後、夕方からエレクトーンの練習をして、門限まで大学にいた。

24日火曜日
 朝9時半からミーティングを2つ入れた。終わったのは20時。8時間ほど喋り続けた。1つ目は新潟、埼玉から、2つ目は名古屋、大阪から研究仲間が京都に来てくれた。ありがたい。
 この2つの仕事は、今年の私にとってたぶん大事な仕事になると思う。前者には委託研究費が付きそうだし、後者は年末、きっと1つの形になるはず。
 名古屋のKさんがお弁当を差し入れてくれたので、「晩御飯は要らない」とパートナーのSさんに電話をした。でも、京都のマンションに戻るとカレーができていたので、少し食べた。

25日水曜日
 Sさんは朝、大学に向かった。きょうは大学泊。私も大学へ。
 新ゼミ顔合わせ、児童学科会議、家政学研究科会議、発達教育学部教授会、大学自己点検委員会・・と会議が続いた。まるで“学級委員を決めるみたい”に簡単に学部長が児童学科主任N先生に決まった。一番驚いたのはご本人だったに違いない。最後の会議が終わって外に出ると、眩暈がした。ちょっとやばいなと思ったけど、ドラムのお稽古に行った。
 昨日のカレーを温めて食べた。シラバスの提出期限が過ぎた。まだ2科目しか書けていない。

26日木曜日
 2月24日に開く音楽講座の準備のため、阪急電車に乗って西宮北口へ。大阪音大講師、M先生のお宅にお邪魔した。途中十三で乗り換えたときに、蓬莱のブタまんを買って電車のなかで食べた。5時間もの間、エレクトーンの操作方法と新ネタについて聞いた。頭がパンクしそうだが、M先生のお陰で少し自信がついた。夜、Sさんが京都に戻ってきた。

●何時にくるの 私は西宮北口
●ひかり今乗った1943京都駅。Date: Thu, 26 Jan 2006 19:09:16 +0900
●私のほうが遅いかも。伊勢丹の地下でなにが買ってきてくれないですか。十三で買った豚まん一個はある。後はじゃがいも・人参・肉がある
●買った ご飯たく必要あり
●冷凍庫 >ご飯たく必要あり

 中年の恋人同士? 
 共同生活をする中年男女?
 中年の別姓事実婚カップル?
 いえいえ、中年のパートナー婚カップルです!
 「私」と言わない限り、性別もわからないですね。


27日金曜日
 教学課に11科目分のシラバスを送信した後、下京税務署へ。東京の音楽教室の納税を済ませ、3人の講師さんの源泉徴収票を作成した。その足で京都駅へ。
 時間があったので、伊勢丹のKomatsuでサンダルを買った。
 東京の自宅に着くとパソコンの調子が悪くて2時間ほどロスをした。時間がないときに限ってこういう事故が起きる。

 近日中に、2006年版シラバスをアップロード予定。(2月1日、アップロードしました。)

http://www.ongakukyouiku.com/kyotowu/syllabus.html

28日土曜日
 途中休憩を挟み、朝10時過ぎから夜9時半までピアノのレッスン。
 大学教授になった今も、受験指導などではなく普通のレッスンを続けるのは、幼い子どもたちとかかわり続けることで実践力を失わないようにしたいから。春からは「アートを中心とした学童クラブ」も始める予定。
 夜にレッスンに来る高校生たちからは、今の空気を嗅ぐ。
 入試にまつわるチョコ(お菓子)のジンクスを聞いた。
●チョコは溶ける 問題が解ける
●うカール、受か~る カール
●キットカット きっと勝つ
●コアラのマーチ (木から)落ちない
 高校生になっても趣味でピアノを習っている子は例外なく勉強もできる。

29日日曜日
 文部科学省から委託されたウェブサイトを使った指導案を作成した。秋に作った以下の2つ以外に、一日で4つ考えた。
http://www.ongakukyouiku.com/2005_10_30/sidouan.pdf
 気づくと深夜3時。

30日月曜日
 きょうは久々のオフ。ベルリン在住の音楽家&西洋占星術師、小瀬泉さんが一時帰国。我が家にやってきた。


隣家の一人暮らしのお爺さん、倒れる

 一部、修正・加筆しました。

 昨日、私の家の前に救急車と消防車が止まった。救急隊員が足早に家の横の路地を通り抜け、奥の家に入っていった。そこに住む一人暮らしのお爺さんが倒れたのだ。意識ははっきりしている。たぶん自分で通報したに違いない。

 このお爺さん、以前は息子夫婦と孫の女の子2人の5人暮らしだったが、息子夫婦一家は何の挨拶もなく数年前にいなくなった。息子夫婦がいた当時、奥さん(おそらく専業主婦)が近所のコインランドリーで洗濯しているのをみかけたので、初めは自宅の洗濯機が壊れたのかなと思ったが、そうではなかった。一年中コインランドリーを使っていたのだ。

 何を洗っていたのかな。そのお爺さんの洗濯物だけ別に洗っていたのかな・・。本当のところはわからないが、そうした想像をしてしまいそうになるほど、このお爺さんは家庭内で孤立しているように見えた。

 息子夫婦一家がいなくなってから、そのお爺さんは回覧板の受け取りも拒絶するようになったので、私たちはもう一軒奥の若い独身建築家Nさんの家に渡しに行くことになった。外で働く人間たちが地縁を壊したと言われるが、地域社会を鬱陶しいと思う高齢者も増えている。

 高齢者ばかりではない。主婦にもそう思う人が増えている。南隣の家は、京都との二重生活をしている私でさえやった輪番の班長を断わろうとした。結局しぶしぶやることになったけれど、「近所と関わりたくない」というのが理由だったと聞いた。

 地縁だけじゃなく、政府が国民の状況を把握する力も弱くなった。昨秋、パートナーのSさんには国勢調査の用紙すら届かなかったですよ。私は京都市下京区民だけど、Sさんはここに住民票があるのに・・。


ほんまにお粗末、読売社説

 少子化でグーグル検索をし、次の記事をみつけました。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060104ig90.htm

 この社説、何を言いたいのかさっぱりわかりませんでした。どこまでがこの社説を書いた人の見解なのか、「教育改革国民会議」の報告書に記載されていることなのかもわからなかったです。

「大家族が多く、濃密な交流が地域にあった時代には、さまざまな大人が子育てにかかわった。核家族化が進むなどし、子どもと接する時間が短くなるにつれ、親は「人生最初の教師」たる責務を果たせなくなった。」~この文章、変ですよ。
 
 1.核家族化が進み、親は自身の子どもの子育てで手一杯になった結果、地域に住む他の子どもの面倒までみる余裕がなくなったのか。
 2.核家族化に長時間労働が加わり、親は自身の子どもの子育ても十分にできなくなったのか。
 3.大家族でさまざまな大人が子育てにかかわっていたその昔、親は「人生最初の教師」だったというのは正しいのか。
 4.大家族でさまざまな大人が子育てにかかわっていたその昔、他の大人がその子どもにとって「人生最初の教師」だった可能性はないのか。
 5.大家族でさまざまな大人が子育てにかかわっていたからこそ、親は「人生最初の教師」たる責務を果たせたのではないのか。

 こういう風に考えること、できませんか。なんだか学生に卒論指導をしているみたいになってきました(笑)。

 新聞社の方々が若者の学力低下を嘆くのは、年寄りが「今の若いモンは!」というのと同じです。今の若いモンでも、もっとちゃんとした文章を書ける人材がゴロゴロいるはず。今大事なのは彼らにチャンスをあげることだと思います。

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1月5日付・読売社説
 [転機を迎えて]「少子時代のリーダー育てよ…道徳心と教師力向上を」
 【大学全入時代の到来】
 人口減、少子化の進展は教育の有り様まで変える。
 文部科学省は、2007年度には大学の全志願者数と、大学が受け入れ可能な入学者総数が一致する、とみている。あと1年で、数字上は希望者全員が大学に入れる「全入時代」が到来する。
 05年度、私立大の3割に当たる160大学が定員割れした。山口県の萩国際大のように経営破綻(はたん)したところもある。
 懸念されるのは、不安定な経営に起因する高等教育機関の質の低下だ。教育と研究、どちらが劣化しても大学に対する評価は低下し、ますます学生は集まりにくくなる。
 生き残りをかけて、安易な入試、多数の留学生依存などに走る大学もある。大学本来の機能に磨きをかけられないのなら、淘汰(とうた)もやむを得まい。健全な競争的環境の中で大学の個性化、特色化を進めねばならない。
 人口は国力だとも言える。「超少子化国」となった日本が、今後も活力を維持し、国際競争を勝ち抜くためには、世界の最先端で活躍できる研究者と、幅広い分野におけるリーダー的人材を育成することが肝要だ。
 読み返したいのが、首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が00年暮れにまとめた最終報告書である。
 報告書は、戦後教育の平等主義を、「他人と同じことを良しとする風潮は、新しい価値を創造し、社会を牽引(けんいん)するリーダーの輩出を妨げ」てきたと省みる。
 必要なのは、政治、経済、環境、科学技術などの分野で「社会が求めるリーダーを育て、認め、支える社会を実現する」ことだ。決して知識偏重の教育によるエリートを求めているのではない。ルールや道徳無視の為政者や経営者もまた、報告書の“想定外”と言える。
 個々の資質や才能を生かし伸ばせるような初等中等教育、入試改革に加え、高い専門性と教養を併せ持った人材をつくり出す大学・大学院改革が必要だ。
 報告書は、こう提言した。高校卒業を待たずとも優秀なら「飛び入学」で大学に入れよ。3年修了段階で大学院に進めるように。博士号も最短3年で取れるようにせよ――。
 飛び入学は、昨春の入試で5大学が募集し、千葉大など2大学に10人が入学した。今春は6大学に募集も増える。大学院への飛び入学も一昨年度、38の大学で170人の実績をつくっている。
 【豊かな社会性と人間性】
 「創造力、自発性と勇気、苦しみに耐える力、他人への思いやり、自制心を失っている」。当時、報告書が憂えた教育の実態、日本人像は5年後の今も、さほど改善されてはいない。
 教育の原点は家庭にあることを自覚せよ。学校は「道徳」を教えることをためらうな――報告書はそう直言した。
 大家族が多く、濃密な交流が地域にあった時代には、さまざまな大人が子育てにかかわった。核家族化が進むなどし、子どもと接する時間が短くなるにつれ、親は「人生最初の教師」たる責務を果たせなくなった。
 家庭は安らぎの場であると同時に、厳しいしつけの場でもあるはずだ。子どもに豊かな人間性を植え付ける責務は家庭にある。「家庭力」を立て直したい。
 一方の道徳教育は、日本教職員組合などいわゆる“進歩的”勢力からの攻撃にさらされてきた。「戦前の『修身』の復活だ」「心の統制だ」などとイデオロギー論争の的にされた。
 学習指導要領では年35時間と、標準時数が決められている。それを達成しているのは8割の小学校、6割の中学にとどまっている。道徳の副読本や資料、指導方法を充実させて、子どもの正しい自我を形成しなければならない。
 子どもの「学力」は、5年前よりさらに後退している。教職の「権威」も低下している。戦前の師範学校のような教師養成機関待望論すら聞かれる背景には、高い指導力に裏打ちされた、かつての教師の威厳への、憧憬(しょうけい)があろう。
 大学の教授陣も含め、「教師力」の立て直しも、優秀なリーダーの輩出、人間性豊かな日本人育成に欠かせない。
 【教師も「威厳」取り戻せ】
 「博士の愛した数式」という映画が今月封切りになる。小川洋子氏の小説が原作だ。記憶が80分しかもたない数学者から、通いの家政婦と、「ルート(√)」とあだ名されたその息子が数学の真の面白さ、奥深さを教えられる。
 「ルート」は成長して数学の教師となり、赴任校で初授業する。原作にはないシーンだが、博士の思い出を語りながら、「わかる授業」「興味をひく授業」が展開されていく。
 終業ベルが鳴る。その時、自然と生徒の口をつく感謝の言葉――人に教えることの神髄を見るようで胸が熱くなる。
(2006年1月5日1時37分 読売新聞)


1年に一度、3階の書庫を整理する

 27日~29日は京都。卒論指導や今年最後のドラムレッスン、マンションの掃除などをして、昨日の午後、東京に戻ってきました。
 きょう大晦日は、パートナーのSさんと自宅の大掃除。2階に少しずつ貯まった本や資料を3階に運びました。(私の東京の自宅は、地下と1階が仕事場、2階が居間&水まわり、3階が書庫&クローゼットになっています。)
 2000年夏、3階を改装して、左側の壁一面をスライド式書棚にし、右側をクローゼットに。これから死ぬまでに買う本を全部収納するつもりでいましたが、ひょっとしたら無理かもしれないです。Sさんが研究室から持ち帰った本が次第に貯まってきたので、彼に少しスペースを提供することにしたからです。

 個人主義が少しだけ崩れました(笑)。

 本に対する考え方は人それぞれだと思います。コレクションすることに意義を見出す人もいるだろうし (最高裁の裁判相手は美術書のコレクターでした)、情報を収集するための1つの手段と割り切っている人もいるでしょう。

ファイル 75-1.jpg  ファイル 75-2.jpg 

 私は充分に吟味して購入するタイプです。毎年増えていくこれらの本を眺めていると、音楽教育関係の本が多く、この分野でもまだまだ私が果たすべきミッションがあるような気がしてきました。2006年はそれも探そうと思います。


やっと年内の授業が終わった

 他の曜日は先々週終わったのだけど、国民の休日、学校の行事と重なって休講の多かった月曜日はやっと昨日、年内の授業が終了した。

 5時間目の総合教育科目「子どもと音楽」
 先週、レポートの課題を伝えたばかりだというのに、しかも締切は来年の1月末だというのに早々と提出する学生が数名いた。ここ2、3年、こういう傾向が顕著になったように思う。
 字数や枚数、締切ばかりにやけに神経質。“手っ取り早く出しちゃえ”という態度。能率的とか、効率的というのでは決してない。特に社会科学系の学生に多い。 

 規格に合わなければオミットされてしまうことがある一方で、たとえば他人は2枚のところ、敢えて100枚書くことによってグ~ンと抜きん出ることもあるのに。
  
 彼女たちの多くは、仕事一筋の父親と専業主婦、あるいはパートの母親の家庭で育ってきた。何年か経つと、仕事でつけた「段取り力」や仕事と家庭の両立で身についた「隙間時間の有効活用術」をもった(AERA 2005年12月26日、「働く母の受験成功術」)人たちの子どもたちが大学生になり、この傾向に拍車がかかるのではないかなぁと思う。大学時代ぐらいは、いっぱい試行錯誤したほうがいいのになぁ。ジミ~に積み重ねた時間が将来の力になるのになぁ。

 年内のノルマは会議1つを残すだけになった。でも、12人分の卒論チェックが残っている。
 ずっとモニターを眺めていると目から血が出そうだ。

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追記 このノートブックを読んだパートナーのSさんが「隙間時間といい加減さは関係ないと思う。働く母を否定することになる。」と連絡してきたが、この記事を読んで、私はどうしても「追い詰められた結果、効率を求め、どこかいい加減にしないとやっていけないような“圧迫感”」で胸が一杯になったのです。

 同じ号に、作家の半藤一利さんの人生が載っていて、「1つのテーマだけで多いときには60~70人に取材したという。結婚して子どももできたが、週刊誌の記者として飛び回っていて、まともに家に帰らない。あいそをつかした妻が、ある日出奔した。だからといって仕事の手を緩めたりはしない。幼子は産婆の母に預け、再び会社の仕事と歴史の研究にのめり込む。帰宅すると、敷きっぱなしの布団に頭からもぐりこんで、資料を読む。翌朝はそこから這い出して出勤。掛け布団はトンネルのようになったまま固まっていた。」と書いてありました。

 私は東京医科歯科を中退して東京芸大を受験するまでの、24歳の半年間、このような生活をしていた。いいな、昔の男は一生それが出来て!!


居心地のよい家庭の危険度

 何か事件が起こると決まって「親子関係が悪い」という人たちや、家族崇拝主義者たちばかりではなく、幸せな家庭環境が何よりも大切と感じている人たちも読むといいのではないかと思う文章を紹介しましょう。

 丸山健二 『生きるなんて』(第2章 時間なんて)

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 将来につながる、現実的な目的を持ち、それに向かって邁進している者は、たとえ雇われの身であっても、残業と早出の日々を余儀なくされる厳しい環境のなかにしたとしても、その多忙な時間は百パーセント彼のものなのです。
 時間をわが物にするということはしっかりとした目的を持つことであり、その目的に向かって突き進むということは自立へ迫るということです。
 その目的ですが、残念なことに、居心地のよい家庭環境からは生まれにくいのです。家族愛に満ちあふれた、裕福な家庭に生まれた者は、その状況を最高のものと受け止め、それ以外のものを捜さなくなります。現状維持が最大の目的になってしまいます。
 しかし、現状維持を目的とは呼べません。なぜなら、そこに流れているのは家族全員のための時間であって、あなた個人の時間ではないからです。集団で共有する時間は、あなたの時間でないばかりか、あなたの自立を妨げる危険性を孕んでいます。
 家庭や家族を絶対視することは、国家に対する過剰な思い入れと同様、あなたをあなたでなくしてしまいます。そもそも家庭や家族は崩壊するのが当たり前で、それが健全な形なのです。けっして悲劇ではありません。崩壊しない家庭や家族のほうがむしろ悲惨と言えるでしょう。
 よくまとまった、絵に描いたような幸福な家族という幻想に振り回されるのは禁物です。そこにはとんでもない落とし穴が隠されているのです。崩壊を恐れるあまり、少しでもその状態を長引かせようとするあまり、理想の形が保てなくなったときにパニックに陥り、これまで家中に充満していた愛が、突如として憎悪に変わります。

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 最高裁は、私と裁判相手との関係を「一方的に解消してもいい関係」と判断しましたが、“崩壊させたくてもできず、同じ屋根の下で憎悪を増幅させているような関係”よりはずっとハッピーだったのかもしれません。私が裁判に負けたのは、私に個人の時間があり、自立していたからだったりして!
 そして、私が今、仕事上の現実的な目的を持ち、それに向かって邁進できずにさ迷っているのは、パートナーSさんとの関係が居心地がいいからかもしれません。