1月12日
きょうは朝京都を出て、音楽之友社で打ち合わせをした後、神保町にあるS.S.さんが開く歯科医院に行った。私とS.S.さんは1996年の夏に知り合った。当時彼は国家公務員共済歯科診療所に勤めていて、その年の春から富山大学の教員になり国家公務員になった私は、フトしたことから、この診療所に行けば保険対象の治療はタダになることを知って通うようになったのだ。
右側の人がS.S.さん
LOHAS TALKより転載
http://pod.j-wave.co.jp/blog/lohastalk/2006/08/
2度目の診察のとき、彼に普通の歯科医は持ち合わせていない知性を感じた私は「先生は東京医科歯科ですか。私はその大学を中退しているんです。」と話しかけた。予想はあたり、S.S.さんは私より6学年ほど先輩であることがわかった。それ以降、歯科医師と患者という関係以上に親しくさせてもらっていて、パートナーのSさんも母も歯の治療に通っている。
きょう、治療が終わった後、「医科歯科の同級生だった人たちと比べて、少なくとも深見さんの今の状況は悪くない。中退したのは先見の明があったのかも。」とS.S.さんが言った。
22歳の頃、歯科の勉強にまったく興味がもてなくて登校拒否になった私は毎日死にたいと思っていた。音楽の才能があってやり直したと思っている人が多いけれど、それは事実ではない。一期校の医科大学に落ちて二期校だった医科歯科に受かった私にとって、せっかく入った大学の勉強に向いていない、それはとても辛いことだった。道を変えようとしたとき、私には13歳か14歳の頃まで習っていたピアノしか身を立てる手段はなかった。しかも10代半ばから8年ぐらい、音楽面の成長では大事な時期が空白だ。
25歳の春に東京芸大に入学した頃、かつての同級生たちは医師の、歯科医師の国家試験に受かって意気揚々としていた。私はまだ学部の一年生。。。。歯医者になっていれば儲かったのに・・、その後10年あまりの間、会う人、会う人に言われた。
あれから25年経った。いつの間にか歯科医も憧れの職業ではなくなり、新内さんの話だと、今、視野の広い歯科医は自分の子弟を歯科医にはさせないらしい。上を見たらキリがないけど、私は今自分に向いた仕事をまあまあ楽しくやっている。
決して先見の明があったのではなく、私にはもう音楽しかなくて必死だったのと、音楽面では空白だった歳月に身につけた基礎学力が役に立ったのと、少し運がよかっただけだ。
それと比べると、私は男女の関係には先見の明があると思っている。これはまだほとんどの人には見えないようだ。見えない人にはいつまでも見えないのだろうなぁ。