10月12日
きょうは、11月5日に京都女子大で開く「こどものひろば」の宣伝をするために、伏見区の△△児童館の館長、Nさんを訪問。打ち合わせが終わった後、「深見先生が〇〇児童館で開いたような音楽会をうちでもやってほしいのですが。」と頼まれたので、即OKしました。
下見のためにピアノのある部屋に行くと、放課後の子どもたちが大勢いて、Victor(?)というメーカーの見たこともないピアノと、1986年に私がエレクトーン講師だった当時のエレクトーンが置いてありました。
「エレクトーンは保護者の方にもらったものなんです。」
まずエレクトーンの電源を入れるととりあえず音は出る。でも、ちょっといじってみると、さまざまな回路がショートしているのか、音が出ない箇所がいっぱい。かろうじて作動するリズムを鳴らすとその周りの子どもたちが楽しそうに踊ってくれました。
次はピアノ。相当な年代モノ! 音はもちろん狂っているし、しかも鳴らない鍵盤がたくさんある・・・。それでも私が弾き始めると子どもたちがピアノの周りに集まってきました。「トトロ弾いてぇ」「青春アミーゴ!」子どもたちのリクエストに次々に応える私に、「どこで習ってるねん」と尋ねる男の子。
集まってきた子どもたちのなかに、「翼をください」と「ハンガリア舞曲」を弾いた女の子がいました。「ピアノ習っているの?」「習ってへん」とその子。右手のメロディは弾けているのに、左手の和音は主和音だけ。館長さんに聞くと、この女の子の家庭は経済的に恵まれていないためピアノを習いたくても習えないらしいのです。習っていないのだとしたら、すごく天分がある。この子に2つ目の和音を教えたら、次の和音もみつけるような気がしました。でも、小学校の音楽の先生がこの子に和音を教えるとは思えないなぁ。
館長さんが「最近の子どもは、家が貧しいとほとんどのチャンスがなくなってしまう。私の頃は貧乏人の子どもでも国立の医学部に行けましたわ。金持ちのアホ息子も一杯おったし、むしろ金持ちというとアホと相場が決まってましたなぁ」と不満をぶちまけていたとき、その女の子が職員室に入ってきました。
「公文と習字とピアノのどれか1つやったら、どれ習ったらいい?」とその女の子が私に尋ねました。「公文は館長先生に教えてもらえばいいから、ピアノ!」と私は答えました。
呼んでもらったタクシーが来るまで、また子どもたちとピアノを弾きました。タクシーが来たので、「また来るね」と言うと、「明日来てくれる?」と聞くので、私は本当に近いうちにまた訪ねないと・・と思いました。
タクシーに乗って〇〇児童館に行き、日頃からとても親しくしているこの児童館の職員Nさんにこの話をすると、(ニューヨークのハーレムにある小学校のヴァイオリン教師を描いた)「『ミュージック・オブ・ハート』みたいに、『ミュージック・オブ・ハート イン伏見』やりますか!」と言いました。『ミュージック・オブ・ハート』を例に出すところがナイスなんです、この女性。
最近、京都の女子大で教え、東京の自宅で音楽教室を経営しているだけでは満たされない思いが充満していた私。進むべき方向が少し見えたような気がしました。比較的恵まれた子どもたちにピアノを教えるのはピアノの先生なら誰でもできるかもしれないけれど、こういった子にチャンスを与えるのは私の社会的役割かもしれない。
血統がよければ首相になれ、右を見ても左を見ても世襲の今、児童館でのレッスンだけで自由自在にピアノを弾ける子が生まれ、京都の児童養護施設から京都大学に進む子を何人も育てることができたら、きっと世の中は変わると思いますよ。