何か事件が起こると決まって「親子関係が悪い」という人たちや、家族崇拝主義者たちばかりではなく、幸せな家庭環境が何よりも大切と感じている人たちも読むといいのではないかと思う文章を紹介しましょう。
丸山健二 『生きるなんて』(第2章 時間なんて)
-----------------------------------
将来につながる、現実的な目的を持ち、それに向かって邁進している者は、たとえ雇われの身であっても、残業と早出の日々を余儀なくされる厳しい環境のなかにしたとしても、その多忙な時間は百パーセント彼のものなのです。
時間をわが物にするということはしっかりとした目的を持つことであり、その目的に向かって突き進むということは自立へ迫るということです。
その目的ですが、残念なことに、居心地のよい家庭環境からは生まれにくいのです。家族愛に満ちあふれた、裕福な家庭に生まれた者は、その状況を最高のものと受け止め、それ以外のものを捜さなくなります。現状維持が最大の目的になってしまいます。
しかし、現状維持を目的とは呼べません。なぜなら、そこに流れているのは家族全員のための時間であって、あなた個人の時間ではないからです。集団で共有する時間は、あなたの時間でないばかりか、あなたの自立を妨げる危険性を孕んでいます。
家庭や家族を絶対視することは、国家に対する過剰な思い入れと同様、あなたをあなたでなくしてしまいます。そもそも家庭や家族は崩壊するのが当たり前で、それが健全な形なのです。けっして悲劇ではありません。崩壊しない家庭や家族のほうがむしろ悲惨と言えるでしょう。
よくまとまった、絵に描いたような幸福な家族という幻想に振り回されるのは禁物です。そこにはとんでもない落とし穴が隠されているのです。崩壊を恐れるあまり、少しでもその状態を長引かせようとするあまり、理想の形が保てなくなったときにパニックに陥り、これまで家中に充満していた愛が、突如として憎悪に変わります。
-----------------------------------
最高裁は、私と裁判相手との関係を「一方的に解消してもいい関係」と判断しましたが、“崩壊させたくてもできず、同じ屋根の下で憎悪を増幅させているような関係”よりはずっとハッピーだったのかもしれません。私が裁判に負けたのは、私に個人の時間があり、自立していたからだったりして!
そして、私が今、仕事上の現実的な目的を持ち、それに向かって邁進できずにさ迷っているのは、パートナーSさんとの関係が居心地がいいからかもしれません。