心理学者の小倉千加子さんは、『結婚の条件』(朝日新聞社、2003年)のなかで、現代女性の結婚意識をその学歴によって「生存・依存・保存」に分類した。
小倉さんによれば、高校卒の女性にとって「結婚は生活財であり、結婚して初めて食べられるのである」~“生存のための結婚”
短大卒女性と中堅以下の四大卒の女性は、「自分たちは専業主婦になるので、安心して子育てができるような給料をきちんと運んでくれることを結婚の条件としてあげる」~“依存のための結婚”
小倉さんが調査をした四大を出て専門職として働く女性たちはこういったという。「経済力は求めない。ただ私が一生働くことを尊重して、家事に協力的な人であれば」~自分が結婚によって変わることをむしろおそれる、“保存のための結婚”
単純すぎる分類かもしれないが、おもしろいキーワードだと思う。
精神科医の香山リカさんは、「保存」にもふたつの種類があるのではないかという。(『結婚がこわい』 講談社、2005年)
1つは、「仕事の内容までは知らない。でも身内だからとにかく尊重し、味方になる」という「家族的な愛により実現する保存」。もう1つは「仕事の内容まで含めて理解し、協力している」という「ビジネス・パートナー的な愛により実現する保存」。前者の代表例として、夫が彼女の書いたものを読まないという林真理子の結婚をあげている。
実際にはこの2つの中間的な「保存」や、どちらかに少し傾いている「保存」があるだろうし、他人から見た印象と当事者の実感とに隔たりがある場合もあるだろう。
私にとってパートナーSさんはどうなのかな。
最近開いたクリスマス・ピアノ・パーティのプログラムはパートナーのSさんが作ってくれた(帝国ホテル東京本館地下一階の東京三田倶楽部、12月3日)。当日のカメラ係も彼だ(このプログラム、クリーム色の紙にグレーで印字したが、なかなかの出来!)。
http://www.ongakukyouiku.com/music-lab/pianoparty2005c/05c-PP.pdf
一方、最高裁の裁判の過程では、彼は答弁書の作成にも協力してくれたし、このサイトの「コラム」と「一般の人々の反応」はアップロードする前にチェックをして意見をくれる。コラム7の最後の一文も、彼がちょっと書き直すようにアドバイスしたのだが、“私を代理母のようだと言った当人”の癇に障ったのがこの一文だったようだ。
http://www.partner-marriage.info/c7.html
さて、おそらく多くの人は、Sさんが私を応援するのは、私の音楽教育の仕事に関しては「ビジネス・パートナー的な愛」、最高裁・パートナー婚解消訴訟に関しては「家族的な愛」と思うだろう。本人がどう思っているかは聞いてみないとわからないし、聞いても本人もわからないかもしれないが、私としては、前者は「家族的な愛」、後者は「ビジネス・パートナー的な愛」だと感じている。
コンピュータで設計図を描くSさんにとって、ワードでプログラムをつくることはとても簡単なことだし、建築家にとってカメラも日常的な道具である。プログラム作りやカメラ撮影は、料理の得意な人がおにぎりやケーキを差し入れるような協力であって、きわめて家族的な行為である。
しかし、裁判については家族だから応援したのではないと思う。法律家も男女問題のジャーナリストも気づいていないことを、ひょっとしたら気づいているかもしれない私とその考え方を尊重してくれているのだと思う。
判決が出る前から、最高裁で負けたほうが君にとってチャンスになる、と常に言っていたし、マスコミは「パートナー解消訴訟」と名づけたのに、このサイトを開設するときに「パートナー解消訴訟」ではなくて、「パートナー《婚》解消訴訟」にしたほうがいいと言ったのもSさんだった。
《婚》があるかないか、大違いだ!
次のメールはどちらの愛かな。
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早めに寝て、朝仕事をするようにしたらいいと思う。
体のためにも。
せいぜい3時だ。
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