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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

オニババになる、ならない

 香山リカさんが書いた「〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている」(筑摩書房)と「結婚がこわい」(講談社)を読んだ。

 その中で、香山さんは、三砂ちづるさんの「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」(光文社新書 2004年)に対する不快感を書き綴っている。

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 長年、「女性の保健」について研究してきた疫学者である著書は、「女性のからだの声が忘れられている」と警鐘を鳴らす。そしてその原因を、合理性重視の近代医療と「産んでも産まなくてもあるがままの私として認めてほしい」というフェミニストたちの主張に求めようとするのだ。著者の主張は、「女性というのは、自分のからだを使って、セックスをしたり出産したりということをしていないと、自分の中の、女性としてのエネルギーの行き場がなくなる」ということに尽きる。「女性のからだの声」とはひとことで言えば「セックスと出産をしたい」ということになるようだ。「女としての性を生きたい、というからだの意思がありますから、それを抑えつけて宙ぶらりんな状態にしていると、その弊害があちこちに出て」 (中略) 、ついには「オニババになる。」
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 子どもを産んでいない香山さんが不愉快に思うのは無理ないだろう。2度の出産の度に体が丈夫になった一方で、2度目の双子出産時に死にかかった経験があり、しかも近代医療がなければ命を落としていた私は、さらに複雑な気持ちだ。「女性のからだの声」についても、子どもを産みたいという場合だって、お腹の子どもよりも自分のほうが大事という場合だってあると思う。

 香山さんは、「オニババになりたくなければ、からだのリズムを昔に戻すのではなく、女性ホルモンを投与してホルモンをコントロールしよう」という婦人科医、対馬ルリ子さんの話を引用。この意見を支持し、オニババ説に異議を唱える。

 私は、女性ホルモンが少し低下しているのを知った43歳から足掛け6年間、女性ホルモンの補充療法をしている。補充療法を受けようと思ったのは体のどこかに不調があったからではなく、「私のからだの声」による。この補充療法が私の体にもたらす効果はわからない。たとえば、今までの人生で自分の髪からみつけた白髪は10本未満であるが、それが補充の効果かどうかはわからない。同様に害もまだわからない。

 セックスをしていないとオニババになるのだろうか。しているとオニババにはならないのか。何だかアホらしい。一日ずつ確実に老けていき、オニかオニでないかは別にして、次第にババになっていくだけだ。

 「子宮を空き家にしないように」しながらどうやって知識や技術を身につけ、仕事もするかというと、三砂さんは、「20歳くらいで子どもを産んで、若い間に子どもを育て終わってしまって、本当に仕事として戦力となるときにフルに復帰したらいい」という。それに対して香山さんは現実的に現代の日本社会はそういう働き方が許されるシステムにはなっていないのに楽観的過ぎると批判する。

“若い頃の努力が一人前の仕事人にする”という当たり前のことを三砂さんは忘れていると思う。

 11月10日のノートブックで紹介した勝間知代さんのような、21歳で第一子を出産し、3人の子どもをもつビジネスウーマンもいるだろう。しかし、私の知り合いに、経済系の学部に通っていた21歳のときに第一子の出産したために就職できず、第二子、第三子と出産の度に社会から取り残されるのではないかと思い悩み、精神科に通院していた女性もいる。私が“自分の手では育てない”ことを条件に子どもを産もうと決めたのは、この女性の様子を間近で見ていたからだった。

 香山さんの分析にはさすがと思えるところがたくさんあったが、「〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている」(筑摩書房)と「結婚がこわい」(講談社)の2冊にまったく同じ文章が何度も出ていることに対しては、「こんなの、あり?」と思ってしまった。20代、30代の若い世代から“ポスト上野千鶴子”になる人材を発掘し、育てようとする姿勢が今出版社には求められている。本が売れるという目先の利益だけを考える編集者たちはたぶんそのことに気づかなのだろう。