記事一覧

 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

オフタイムから始まるオンタイム

 20時45分頃、門衛さんに「まだいらっしゃるのですか」と言われて、慌てて大学の研究室を退去、スーパーに寄ってマンションに戻ってきました。うちの大学は、21時以降研究室にいることは原則としてできなくなっています。前にいた富山大学では24時間いることができたので、この健全なモードに慣れるのに随分時間がかかりました。今晩、パートナーのSさんは自分の研究室に泊り込んでいます。

 明日は11時30分に東山武田病院で腹部超音波の定期検査を受けるので、10時15分に起床する予定で、必要な睡眠時間を考えて、逆算して就寝時間を決めるつもりです。長い間建築事務所にいて、どれだけ夜が遅くなろうと朝のオンタイムは決められてきたSさんは、この逆算して寝る時間を決めるという私の生活パターンに慣れるのに時間がかかったようでした。

 たぶん門衛さんは、私は20時45分に仕事を終えたと思っているでしょう。でも、これからがオンです。

 最近、週刊新潮に「ワイドショーな人/本会議すっぽかし藤野真紀子がすっぽかした子育て」という記事が載っていましたね。立ち読みしました。結婚したときは専業主婦だったのに、子どもができてから料理に夢中になり、子どもを母親に預けたので、2人の娘にとって祖母が母だった」という内容でした。

 すっぽかし、育児放棄・・と人は言いたい放題だけど、没頭したい仕事と子育ては絶対に両立しないと私は思っています。

 他人には仕事をやり終えたと見えるその時刻から、ホントの仕事の時間が始まるのだから。仕事帰り、飲み屋で憂さを晴らすおっさんとは違いまっせ!


中食によって、多忙を乗り切る。

 特に先週以降、忙しさが増しています。
 10日は京都女子大のオープンキャンパス、11日~12日は授業、教授会、学科会議、ゼミわけ説明会、13日~14日は全日本音楽教育研究会(愛知)、15日は朝の10時から夜の21時まで10名ほどにピアノレッスン、16日は久しぶりにたっぷり寝て、午後から月末に沖縄で開かれる日本音楽教育学会でのプレゼンテーションの準備。6月から始めたドラムのレッスンも頑張らなきゃ。「22日の大学院入試の英語の問題を作成してください」と事務からメール。「東京芸大の共同研究の原稿締切は、10月31日ではなくて20日よ」と友人からメール。科学研究費補助金の学内締切は24日! 「科研(カケン)は書けん(カケン)」なんて言っていたのでは研究費はあたらへん。

 その合間を縫って、先週3つの検査を受けました。東山武田病院での乳房のマンモグラフィー・超音波・触診。大学に来た検診車による胃のレントゲン。そして、3ヶ月に一度の歯のクリーニング。
 親しい人たちが効き目があると薦めるものは、すぐに試します。
 発熱しても一日で平熱に戻すというカナちゃんが推薦する、ホメオパシー・ミネラルセット。気のせいか、アクティヴになります。

http://www.homoeopathy.co.jp/

 疲れ知らずの富山の中村先生が30年間愛用しているキョーレオピン。ファイブという高いほうが俄然効くそうです。

http://www.wakunaga.co.jp/product/tsukare.php

 検査やサプリよりもっと大切なものは食事。
 パートナーのSさんといるときは、大抵彼がつくる野菜たっぷり鍋か、野菜たっぷりカレー、豆腐と野菜のうま煮などを食べています。いつの間にか、“彼つくる人”、“私食べる人”になってしまいました。

 私が京都に一人でいるときは、昼はだいたい京都女子大の学食。とてもヘルシー。これで400円。

ファイル 45-1.jpg

 閉店間際の京都四条・大丸で、この2つのお弁当の合計が448円。そして、ほぼ毎日欠かさないチョコレート。
 専業主婦の位置を危うくした中食産業。私はそのおかげで、京都で一人でいるときも食べることに困らないです。

ファイル 45-2.jpg

 私だけが京都にいるときは、京都のマンションのキッチンはあまり使わないから、ほとんど汚れません。その間、東京の自宅のキッチンをSさんが使うので、東京に戻ると私はすぐにキッチンの掃除を始めます。男にしては精一杯きれいに使っていますが、私の視力は今でも2.0あるので、気になるのです。人には見えない汚れもばっちり見えてしまう(笑)・・。
 
 完璧な絶対音感のある人が日常生活で不便なことが多いように、視覚面などの感覚器官が鋭敏であることも幸せなこととは限らないです。ぼんやりとしか見えなかったら、私の心はどんなに平穏なことでしょう。