日経新聞8月13日夕刊に小長谷有紀さんのウィットに富んだ文章が載っていた。
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個人的な少子化対策
国立民族学博物館教授 小長谷有紀
むかしむかし、私がまだ女子学生だった頃、留学先のモンゴルで親しくなった男子学生から付き合いを申し込まれて「子どもができると困るから」と断わったことがある。すると即座に「産んでいけ! 」と言われた。そのまま勧めに応じていたら、今頃、私はおばあちゃんになっていたかもしれない。
当時、モンゴルは社会主義のもので積極的な人口増加政策を採っていた。学生の半数を占める女子の大半が母となり、赤ん坊たちは草原に暮らす祖母のもとで養育されていた。一人の女性が生涯で産む子どもの数は6.65人であった。
市場経済に移行してからは、子育てが経済的負担と感じられるようになり、みるみるうちに合計特殊出生率は下ったものの、いまだ2.27人である。
子どもが生まれてから入籍するのが一般的で、入籍しても、そもそも父の名をファミリーネームに代えて用いるために母と父と子のファミリーネームはすべて違う。それぞれ子連れで再婚したので、すべての子のファミリーネームが違うという事例も少なくない。すなわち、家族といるのは生活であって、名前ではない。結婚というのは生活であって、制度ではない。
もちろん、産む、産まないは個人的な選択である。ただし、モンゴルでなら産んでもいいという日本人女性の証言は多く、実践例も多い。となると、社会環境に応じているという意味では社会的選択であろう。だから制度改革は必要であり、それでもまだ十分ではない。
どう力んでも産めやしない男たちの、育てる心がまえ如何で決まるのだと言っておきたい。
「産んでいけ、僕が育てるから!」と言ってみてよ!
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私は「産んでいけ、僕が育てるから!」と言われて子どもを産んだ。一度目は16年前、二度目はその3年後。
モンゴルと違ってここは日本だから、それは“「母による監護の放棄」というべき内容で、「出産請負契約」「人身売買」との印象を与えかねない様態”となってしまうらしい。(民事判例研究 第1回 婚姻外男女関係の一方的解消と不法行為責任の成否 立命館大学法学部助教授 本山敦 「法律のひろば」2005年5月号))
「産んでくれ、君が育てるのなら!」と言われて産まなかった女たちと大違いかといえば、ほとんど違いは無い。私の背後には、子どもを産まなかった多くの女たちがいる。
でも、私は個人的に少子化対策したわよ! うふふ。