「働く女性を支援することで少子化傾向に歯止めをかける」という政府の方針は、少子化の歯止めに対してはまったく効果無しですが、派生的な効果を生み出しています。その1つが、“育児のアウトソーシング”が意識の上では認められるようになったこと。子どもを産んでも母親に働いてもらうためには、誰かが母親の代わりをしなければならないのだから当然といえば当然です。
昨今、祖母が孫の面倒をみていることに対して社会は非難しなくなったばかりか推奨さえしているように感じられます。“育児のアウトソーシング”は知らない間に祖母まではOKになったみたいですね。
しかし、無職で健康な祖母が同居しているか、近くに住んでいるとは限らない。遠隔にいる場合もあるでしょうし、健康上の理由などでできない場合もあるでしょう。これから生涯現役が増えると、“孫育て”になんかに手が廻らない老人が増えることも考えられます。高齢化により、祖父母の父母が生きていて介護が必要ということももう現実にあちらこちらであるし、経済的に余裕がなくて定年後も働かなくてはならない老人も出てくるに違いありません。
社会的な意味での“育児のアウトソーシング”はどこまでが「公序良俗」に反しないのでしょうか。保育園の場合、現状では、延長保育はOKだけど、24時間保育はまだNGなのでは?
京都・東山三条に長年夜間保育に取り組んでいる保育園があります。先日開かれた京都の保育園と京都女子大との懇談会で「あそこは、祇園で働く人が多い土地柄だから・・」と保育関係者は言っていました。まるで、延長保育や24時間保育は夜間に働く看護士か水商売の女のためにあるような口ぶり。職種によっては、オンとオフの境目がはっきりとしない人や、オフのときにどれだけ資料を読めるか、調査できるか、実験できるか、練習できるかで仕事への評価が決まる女性たちも多いのに、保育関係者はまだまだ一元的にしか見ていません。
あのいわさきちひろも長野の義母に乳飲み子を預けて、子どもの絵を描くことに集中したのはほとんどの人が知らない事実です。保育園もなかった時代、夫が弁護士を目指して無収入だったので、生活を支えるために義母に子どもを預けて絵を描き続けたといいます。たぶん彼女には後ろめたい気持ちがあったに違いありませんが、誰もいわさきひちろの夫が勉強のために育児をしなかったことを非難しなかっただろうし、今でも非難されないでしょう。逆ならば、「本当に意欲があるのなら、子育ての合間にでも勉強できるでしょ」なんて周りに言われて、おそらく弁護士になりたいという夢は叶わなかったと思うのです。
何か志を持っている男が育児をしないのは、昔も今も「公序良俗」に反しない。
「公序良俗」を切り口に、私は、法学者の水野紀子さんが書いたパートナー婚解消訴訟の解説 (「平成16年度重要判例解説」)に対してコメントするつもりなので、しばらく「公序良俗」にこだわってみることにします。
「公序良俗」って何ですか。