一部、修正・加筆しました。
昨日、私の家の前に救急車と消防車が止まった。救急隊員が足早に家の横の路地を通り抜け、奥の家に入っていった。そこに住む一人暮らしのお爺さんが倒れたのだ。意識ははっきりしている。たぶん自分で通報したに違いない。
このお爺さん、以前は息子夫婦と孫の女の子2人の5人暮らしだったが、息子夫婦一家は何の挨拶もなく数年前にいなくなった。息子夫婦がいた当時、奥さん(おそらく専業主婦)が近所のコインランドリーで洗濯しているのをみかけたので、初めは自宅の洗濯機が壊れたのかなと思ったが、そうではなかった。一年中コインランドリーを使っていたのだ。
何を洗っていたのかな。そのお爺さんの洗濯物だけ別に洗っていたのかな・・。本当のところはわからないが、そうした想像をしてしまいそうになるほど、このお爺さんは家庭内で孤立しているように見えた。
息子夫婦一家がいなくなってから、そのお爺さんは回覧板の受け取りも拒絶するようになったので、私たちはもう一軒奥の若い独身建築家Nさんの家に渡しに行くことになった。外で働く人間たちが地縁を壊したと言われるが、地域社会を鬱陶しいと思う高齢者も増えている。
高齢者ばかりではない。主婦にもそう思う人が増えている。南隣の家は、京都との二重生活をしている私でさえやった輪番の班長を断わろうとした。結局しぶしぶやることになったけれど、「近所と関わりたくない」というのが理由だったと聞いた。
地縁だけじゃなく、政府が国民の状況を把握する力も弱くなった。昨秋、パートナーのSさんには国勢調査の用紙すら届かなかったですよ。私は京都市下京区民だけど、Sさんはここに住民票があるのに・・。