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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

高校卒業30周年のサプライズ!

 昨日、この夏新調した和服を着て、パートナーのSさんと大阪府立大手前高校卒業30周年記念祝賀会(ウェスティンホテル大阪)に出かけました。私は“京女”の先生っぽくしたつもりだったのに、“祇園の女将”みたいになってしまいました。

 卒業して今年で30年。私は20代後半のクラス会、4年前の関東組同窓会に出席しただけなので、20年ぶり、30年ぶりという友人がほとんど。でも、昭和50年卒の同窓会サイトに本業のサイトをリンクしてもらっているので、そこから辿って「パートナー解消婚訴訟」のことを知っている人もいました。

 http://ohtemae50.s48.xrea.com/

 多くの友人が驚いたのは、私とSさんが現在カップルだということ!同期には高校時代から付き合っていて結婚したカップルも2、3組いるけれど、40代半ばで、しかも同窓会で出会ったのはちょっとしたサプライズなんでしょう。


 「パートナー解消婚訴訟」の相手に一方的に16年の関係をやめるといわれたのが2001年の5月2日。その4ヶ月後の9月1日、関東組同窓会でSさんと知り合いました。私が日経新聞のHさんと話していたところに、「H、久しぶり!」と寄ってきたのがSさんだったのです。私とSさんとは初対面。家に戻って卒業アルバムをみても思い出せない、まったく知らない人でした。
 

 その頃、弁護士が相手側に通知書を送り、地裁への提訴の準備を開始。裁判の間、相手がSさんの存在を知り、「高校のときの同期だから以前からの知り合いだろう。裏切ったのは深見のほうである」という“いちゃもん”をつけてくるのではないかと心配していましたが、結局大丈夫でした。長女も、Sさんの存在を祖母(相手の母親)にも絶対に話さないという約束を守ってくれました。

 「どういう風に親しくなったの?」
 「深見がちょうど自宅を改装しようとしていて、同窓会の後で相談に乗ったんだ」と建築家のSさんは友人たちに説明していたけれど、私は、出会ったその日に「次はこの人にしよう」(笑)と決めていました。

 これは本当です。

 姓が違うので「籍は入れたのか」と尋ねる人や、「入れていない」と言うと「同棲か・・・」と納得する人、「子どもがいれば相続などでもめるから入れん方がええわ」と言う人もいました。大多数の人々の結婚観、男女観はこんな感じでしょう。

 私はどんなに頼まれても誰とも婚姻届など出すつもりはありません。出しても何一つ良いことはないし、出さなくても何一つ不都合はないからです。8月28日のノートブックで、「私の財産を法定相続人である2人の子ども以外の人に譲る」といった内容の遺言を作ったと書きましたが、それもSさんではないですよ。


 老眼のせいで名札に書かれている文字が見にくいと言っている人が多くなりました。
 「今の名前なんて書く必要はないわ。旧姓だけで大きく書けば十分。」と親友のMちゃん。当時大阪御三家といわれ、理科系は半数以上が京大か国公立医学部に進学した名門校でも、事実婚、夫婦別姓はもちろんのこと、職場で旧姓を通称使用している女性もほとんどいません。女性でずっと継続的に働いている人の多くは、医師・薬剤師・学校の教諭・・・。女性の社会進出という面では過渡期だったのでしょうね。

 私が高校のときと同じ姓なので、「深見は独身か」と改めて聞く人がいました。「私はバツ2」と答えると、聞いてはいけないことを聞いてしまって、バツが悪いという顔。2度の出産のときだけ入籍し、離婚した私は、戸籍上はバツ2だから。
 
 Mちゃんは「Sさんは勇気あるわ・・・」と言っていました。“最高裁まで闘う恐い女”と一緒にいたら、明日はわが身」ということかな。
 「あの事件は、私たちぐらいの世代の人ならともかく、今の若い人たちには理解できないと思うよ。」と同じく親友だったEさん。

 生き方や立場は違っても女性たちのほうが共感し合えるのは事実です。その点、たいてい男はアカン、です。出会った日に「次はこの人にしよう」と思ったのは、この人なら説明すれば理解してくれると感じたからでした。たぶん私の勘に間違いはなかったです。

 次は5年後の35周年。新しいサプライズがあるといいなぁ。


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