3月14日
『それでも、ゆとり教育は間違っていない』(寺脇研、扶桑社)を読みました。
画一的な勉強と“基礎基本” (p.91) ←線引きは難しいです。
引き出すのか、教え込むのか(p.54) ←バランス、難しいです。
受けか、発するのか(p.55) ←バランス、難しいです。
寺脇さん曰く、一部の親の中には「選択肢を増やすために東大に行かせる」なんて言う人がいらっしゃいますが、それは大きなウソです。「選択肢を狭めるために東大に行かせている」のです。それは、弁護士や官僚になれる可能性が高いということに過ぎません。(p.38) ←そうも断言できないでしょう。
寺脇さん曰く、いい成績、いい学校が幸せに繋がるという考え方は、今の社会ではあてになりません。(p.39)←これも、そうも断言できないでしょう。
寺脇さん曰く、ある程度のポテンシャルを持っている人間であれば、システムに乗っかるだけで、ある程度の結果が出せるような環境が用意されている。(p.71)←この場合の“ポテンシャル”とは何なんでしょうか。
寺脇さん曰く、確かに子どもたちは放っておくと何もやらない。それは、「教えからの逃走」であって、「学びからの逃走」(佐藤学)ではない(p.153)。←教えからの逃走と、学びからの逃走を分けることなんて不可能ではないですか。
時代の流れに乗っている人の書いた本は、単純化、マニュアル化されていて、買って損したと思うことが多いのとは対照的に、時代の流れに乗らなくなってしまった人が書いた本は、問題の根深さやを見せてくれます。